第13章〜15章
Christmas as the End of Sacrifice なぜか、犠牲になることは美徳のように思っている自分がいます。しかし、犠牲は攻撃することと同じだとコースでは説いています。どういうことでしょうか。このクリスマスには、あなたを傷つけるようなものをすべて聖霊に…
The Time of Rebirth クリスマスシーズンにキリストに何を贈れるばよいのかという話から、 後半は犠牲についてテーマが移っていきます。私には犠牲をささげられても受け取れないし、それは神についても言えること、それにあなたが自分自身に犠牲を求めるたび…
The Time of Rebirth この章が語られた時期がクリスマスシーズンだったようで、 本当にクリスマスにふさわしい贈り物は何か、 キリストは何を喜んで受け取ってくれるのかという話から入っています。The time of Christ we celebrate together, for it has no…
私たちが「自分」というとき、普通は身体を切り離しては考えません。 身体あってこその人である、と。 しかし、奇跡のコース(ACIM)では、身体は乗り物であり、 私たちは意識であると言います。The body is the symbol of the ego, as the ego is the symbol …
The Only Real RelationshipHear Him gladly, and learn of Him that you have need of no special relationships at all. 聖霊に喜んで耳を傾け、 あなたには特別な関係など全く必要ないということを教わるがいい。 You but seek in them what you have thr…
Yet the attraction of guilt has value to you only because you have not looked at what it is, and have judged it completely in the dark. あなたにとって自責の念のもつ魅力に価値があるのは、 単にそれが何なのかよく見ていないし、 いわば全くの暗…
7. The Needless Sacrifice人と人の関係について語っている、とても興味深いところです。 チャンスがあれば、全文を読んでくださいね。あなたを満足させてくれる愛はほかにない、 他の(神以外の)愛などないことは確かだから。 Being complete, it asks not…
The Holy Instant and the Laws of God 奇跡のコースの6章5聖霊の教えで、 得るためには与えること、 平安を得るにはまずそれを教えること、 絶えず気づきをもって生き、本当の自分に戻ること、 と習って来ました。与えることは失うことではなくて、 もっ…
The Holy Instant and the Laws of God ひとつの関係を生かそうとして、もうひとつ別のを犠牲にしたら、 決して罪責感にさいなまれずにはすまない。 同様に、ある関係の一部を非難しておいて、 その関係のなかで心の平安を見いだそうとするのも不可能。(関…
The Holy Instant and Special Relationships The holy instant is the Holy Spirit's most useful learning device for teaching you love's meaning. 聖なる一瞬は、聖霊があなたに愛とはなにかを教えるのに、 最も役立つ学習の手だてだといえる。実在を部…
Practicing the Holy Instant The holy instant is this instant and every instant. 聖なる一瞬とはこの瞬間、まさに一瞬一瞬のことである。ただし、あなたが望まないうちは、取るに足らない状態から完全に 解放してもらえるその一瞬を、喜んで自覚すること…
15章3 Littleness versus Magnitude 取るに足らないもので満足することのないように。ここでは、日常で私たちが追いかけているもので満足しないで、 本当の自分に戻ることこそが最も満足する道であり、 これ以上のものはないこと。 そして、こうして学んで…
The End of Doubt 贖罪は時間の中で起こることだが、時間にあるのではない。 それはあなたの心の中にあるので、永遠である。時間のことを気にする必要はないし、恐怖心をすべて取り除いてくれる神聖な一瞬を恐れることはない。平安な一瞬は、怖れを恐れを伴…
The Holy Instant The Two Uses of Time 何一つ気がかりなことや心配ごとや懸念することもなく、ただいつも本当に落ち着いて穏やかな心持ちでいられるとは、どんな気分なのか想像できるだろうか。こうしたことを習い、ただそんな気分を味わえるようになるた…
The Test of Truthこれまでのところ、絶対必要なことは何かといえば、 確かに自分は知らないということを分かるようになることである。Knowledge is power, and all power is of God. 知識は力であり、力はすべて神のもの。この力を、自分ももっていることを…
The Equality of Miracles引用が長くなりますが、入れておきます。 この他にもたくさんのことが語られていますけれど、 わかりやすいところだけを紹介します。奇跡そのものはただ、 あなたが自分の中に神の力をもっていることを証明するにすぎない。それで、…
The Equality of Miracles 奇跡の同等性 奇跡のコースは、真理に照らして、自分の思考をどのように見るのか、そして、それをどう変容させていくのかという教えです。奇跡は覚醒への道、意識のシフトです。ものの見方や捉え方を、天地がひっくり返るように変…
The Reflection of Holiness 14章9神聖さの反映本来の自分に戻るとは、自分の神聖さに気づくということでもあるのです。自分自身が純粋で、無垢であると気づいたら、常にその輝きが外に向かった放たれるように、心を磨いていたくなるはずだと話されています…
The Holy Meeting Place 私たちが実在の世界からは離れたことはないし、知識と創造の世界に今もいること。神の栄光は私たちの栄光であること。ここで再び強調されています。暗闇のなかで、あなたは神が与えてくださった栄光をおおい隠したうえ、罪なき神の子…
14章7でいう聖霊に打ち明け、聖霊と心をひとつにして見るというのは、具体的にはどうすればいいのでしょうか?まずは、自分の闇を意識の上にあげて、聖霊に渡すと決めること。それは日常でできることです。自分の闇(悲しみ、苦しみ、ねたみ、憎しみ、疑い…
Sharing Perception with the Holy Spiritここでは、聖霊と一体となって、自分の心の闇を光の中で見ようということが言われています。自分が怖れていること、恥じていること、悔やんでいること、隠しておきたいことがあると思いますが、それを聖霊の前に出し…
14章4には、 ここ(この世界)での(あなたの)役目は、自分が何を望むのか分かっていないということを認めて、ただ自分の欲しいものが何なのか決めようとするのに反対することだけである。とあります。つまり、奇跡のコースでは望むことも、考えることも、…
The Light of Communication 我々が一緒に引き受ける旅は、闇を光に換え、無知を英知に換える旅である。自分に理解できることなら、恐ろしいものは何一つない。ただ暗闇のなかにいたり、何も知らないときにのみ怖いと感じるものを知覚してしまい、それから逃…
The Circle of Atonement誰もみな贖罪において果たすべき特別な役があるが、各自に与えられた伝言は全部同じ、神の子に罪責感はないということだ。一人ひとりその伝言の教え方は違うし、習い方も異なる。ただそれを教え、また習うまでは、自分の本当の役目を…
Your Function in the Atonement兄弟の罪責感のない姿こそ、まさにあなたの贖罪そのものである。他者の中に罪をみないこと、つまり、誰も責めないでいられること。それは自分の贖罪がなされたことを表している、ということです。思考が訂正され、心が平安で…
The Decision for Guiltlessness一般に、神の助けを得たければ、自分が望むことに向かってそれ相応の努力をしなければならない、という考え方があります。そこで問われるのは、その「自分が望むこと」の中身です。もし、それが神、ONENESSの意志にそうもので…
The Decision for Guiltlessness喜んで学ぶ者は学習することに罪責感を感ずるはずがない。これは学ぶときにとても重要なことなので絶対に忘れてはならない。おそらくあなたは、ただ罪の意識からくる痛みを消すために、罪責感を抱かないでいようとすることに…
The Happy Learner・・・あなたはみじめな状態にいるというのに、それが幸せというものだと信じている・・・無意味なものを信じて、自分の捜す「宝物」を見つけるつもりでいる。本物を見たことがなければ、偽物を本物とたやすく信じてしまう。私たちの現状は…
The Conditions of Learning 自分のために成されたということ、自分にとっては未知のこと、どうすればそれが分かるようになれるだろうか、それにはそうしたことはすでに為し遂げられたこととして、自分の成すべきことをするしかないだろう。自分自身が愛され…
14章まで来ました。いままでほとんど自我の論法に従ってやってみて、その当然の結末を見てきた。それを見たからこそ、そんな結末は錯覚のなかでしか見られないことだと悟った、そんな結末がはっきりしているように思えるのはただそのなかだけだから。今こそ…