15章7無用の犠牲 その2

Yet the attraction of guilt has value to you only
because you have not looked at what it is,
and have judged it completely in the dark.
あなたにとって自責の念のもつ魅力に価値があるのは、
単にそれが何なのかよく見ていないし、
いわば全くの暗闇でそれを判断したからである。

あなたが怒っているときには必ず、
自我に「祝福」された特別な関係にあることは確か、
怒りこそまさに自我からの祝福であるから。

怒りを使うのは、自分を守ろうとする自我の試みだと15章7では教えています。
外に怒りを表現した結果、今度は自分を責める気持ちに陥ります。

日常でいつも繰り返してしまうパターンです。
怒り、そして自分を責める。
あるいは、相手を怒らせ、相手の自責の念で自分につなぎとめる。

そして、今度は自分を犠牲にするのです。
犠牲は、つぎに苦々しい恨みを心に生じます。

お互いに犠牲を強いている関係がこうして生まれてきます。
愛ではなく、罪悪感と犠牲と怒りでつながっている関係。

心は遠く離れていても、身体がそばにあるだけで、
私たちは、よい関係は続いていると思っています。
心から許し、愛する代わりに、身体を寄せ合って一緒にいれば
孤独を感じないでいられると信じています。
これが私たちの生きている現実。

でも、いつかはわかります。
身体を寄せ合っていても、罪悪感でつながっているのなら
心は孤独なんだと。

The sick attraction of guilt must be recognized for what it is.
吐き気がするほどに自責の念に駆られるなら、
それをそのまま見てみる必要がある。

For having been made real to you,
it is essential to look at it clearly, and by withdrawing your investment in it,
to learn to let it go.
自分にとってはそんな思いを本当のことにしてしまっているので、
それをはっきりと見つめることが何よりも大切だし、
そんな思いに浸るのをやめて手放せるようになることが絶対必要だ。

自分で自分のやっていることや、感じていることをよく見ること。
それが本当に自分を幸せにする道かどうか。
自分にとって価値のあることなのかどうか。

自分以外の人や出来事に怒りをぶつけていれば、
自分は安全だという信念。

それは本当でしょうか、それは必要でしょうか?

もし、あなたがいらないという決断をすれば、
ただ怒ることをやめ、人に罪悪感をもたせるような言動をやめ、
また、自分も罪悪感を手放すことでできるのです。