15章3とるに足りぬものVS重要さ

15章3 Littleness versus Magnitude

取るに足らないもので満足することのないように。

ここでは、日常で私たちが追いかけているもので満足しないで、
本当の自分に戻ること
こそが最も満足する道であり、
これ以上のものはないこと。
そして、こうして学んでいるのは自分ひとりのためではなく、
すべての人々へ分かち合うために学んでいること。
それは自分にとって大きな喜びであることなどが
テーマとして語られています。

この世で何かを求めて躍起になり、そうすることで心に平安を
得られると信じているとすれば、自分自身を軽んじているし、
栄光を前にして自分で目隠ししているようなものだ。


自分の気が済むまで何度でもやってみるのはあなたの自由だが、
そうすることで自分が帰国の途につくのを遅らせるだけだ。

私は、人は気の済むまでやってみるしかないと思っています。
自分(自我)で考えて自分はこうすれば、こうなれば幸せに
なれると信じられることがあれば、積極的にやってみること。
やってみて、どんなに成功したように見えてもやっぱり自分の
心には真の平安や幸せがない、満たされていないことに気づく
日が来ると思うのです。
とことんやってみるのもいいし、途中であっと、気がつくことも
あるでしょう。人それぞれのタイミングがあるのだと思います。

ただし、奇跡のコースではやってみるのもいいけど、
ただの寄り道だよって教えています。

God is not willing that His Son be content
with less than everything.
神は御子がすべてのものではなくて、
それ以下で満足することを望んではいらっしゃらない。


取るに足らないものを置き去りにし、虚しい思いでさまようのを
やめるのが犠牲を払うことになるだろうか。
栄光に目覚めることは犠牲的行為ではない。
しかし栄光に劣るものを受け入れるとすれば、
それは犠牲的行為そのものである。


聖なる神の子よ、まったくいつになったら、
神聖なるものだけがあなたを満足させ、心に平安を与えてくれると
分るようになるのだろうか。
私がそうであったように、あなたは自分一人のために学んでいるので
はない、ということを思い出してほしい。


あるがままの自分を受け入れられるようになったら、
もう自分自身に与えるための贈り物を作ったりしなくなる、
自分は完全に満たされており必要なものは何一つないとわかるし、
自分のために何も受け入れることはできないとわかるのであるから。
しかし受けとっていることは確かなので、喜んで与えるようになる。

So be it.