15章4聖なる一瞬の実践

Practicing the Holy Instant

The holy instant is this instant and every instant.
聖なる一瞬とはこの瞬間、まさに一瞬一瞬のことである。

ただし、あなたが望まないうちは、取るに足らない状態から完全に
解放してもらえるその一瞬を、喜んで自覚することはできない。

聖なる一瞬とは、ただ強くそう願うだけで起きてくると話しています。

The instant in which magnitude dawns upon you
is but as far away as your desire for it.
重要なものがわかり始めるその聖なる一瞬は、
ただ心から望みさえすればあなたのものになる。
・・・
強く望めば望むほど、その可能性を大きくする。

The reason this course is simple is that truth is simple.
この奇跡の道の教えが単純な理由は、
真理というものは単純なものだからだ。

この単純な理由を簡単に言えば次のようになる−聖なる一瞬とは、
その瞬間にあなたが申し分なく意思の疎通をおこなうということ。

つまり、その一瞬あなたの心は、受け取ると同時に与えるために
開かれていることを意味する。
・・・したがって、何一つ変えようとはせずに、
ただあらゆるものを受け入れるだけのことである。

ここで、ただ願うだけではなく、心を開くことが求められていると
続いています。自分の心の中に自分自身から、あるいは人にも
隠しておきたい感情、思い、願い、それを抱えたままでいたのでは、
完全なコミュニケーションはできない、だから聖なる一瞬が訪れても
受け取れないと。

それというのも、聖なる一瞬は快く与えると同時に快く受け取る
瞬間であり、すべての思いをつかさどる唯一の意志を受け入れる
ということだからである。

自分の心の一部を閉ざしたままで、すべてとつながることはでき
ません。それは心で善きことだけを考えなさいとか、清らかにと
か、心に汚れがないように、という話ではありません。

自分で自分を欺いてはいけないと言っているのです。
自分から必死で押し隠していること、それを手放しなさいと
言っているのです。

この思いだけは手放したくないというような思いがないように
することは、確かにその条件(聖なる一瞬の必要条件)に
含まれている。

自分の中にある、秘密にしておきたい思い、感情などを
聖霊に差し出すことを求められています。
つまり、意識の上にあげて、よくみなさい、
そして執着しないで手放しなさいと教えているのです。

誰かを憎んでいる、怒っている、過去の出来事を悲しんでいる
などなど、私たちはいろんな感情を隠しもっています。
それらは自分で見るのも嫌ですし、人に見せたくもないものです。
しかし、それを自分の中に抱え込んだままで、
聖なる一瞬とつながり続けることはできないのです。

自分の中に隔離している感情、それはあなたを虜にしているもの
でもあるのです。それを聖霊の前に差し出せば、替わりに私たちは
純粋さを取り戻すことができると言われています。

おかしなことに、幸せな体験や感情ではなく、
私たちは悲しみや痛みに執着していることがあります。
この痛みが生きている証だとか、憎しみを糧に生きる
などという表現もあります。
それは決して自分を幸福にはしない道です。
わかっていて抱えています。
しかし、「もう、手放そう」と決めてください。

ただ聖霊に差し出して「これは手放します」と言えばいいことです。
そう願えばいいことです。とても単純なことです。

私の経験では、そう願うと、
自分の抱えていた感情や出来事への理解がやってきます。
なんというか、意識が大きくなるというか、そうですね、
やっぱり受け取れるようになるという表現がぴったりのような気がします。

So be it.