15章聖なる一瞬 1時間の二つの利用法

The Holy Instant
The Two Uses of Time

何一つ気がかりなことや心配ごとや懸念することもなく、ただいつも本当に落ち着いて穏やかな心持ちでいられるとは、どんな気分なのか想像できるだろうか。こうしたことを習い、ただそんな気分を味わえるようになるために、時間というものがある。

時間がたつにつれて心身ともに消耗し役立たなくなるように思えるのは、単にあなたが自我と一体感をもっている為だし、その自我は破滅させることを信じているので、そのために時間を利用する。

(瞑想をしている人が若々しいのは、自我と自分を同一視しないせいなのかもしれませんね。)

自我のいう恐れは過去と未来にあります。
聖霊は時間は今しかないと教えます。ここに永遠があると。

一瞬一瞬が清く汚れなき誕生の瞬間であり、神の子は過去を離れ、今ここに現れる。そして、今このときが永遠に広がる。

今、まさにこの一瞬を例に、それが存在する時間のすべてだと思ってみることだ。

兄弟(人)を攻撃したくなったときには、その人が解放される瞬間に自分も解放されると、ということを思い出してほしい。奇跡とはあなたが解放の機会を差し伸べ、自分で受け取るための一瞬である。

聖霊の教えを実行し自分が癒され、ONENESSに戻れるのは、まだまだ先のこと、という思いが私にもあります。おそらく、奇跡のコースを学ぶ人の多くがそう考えるでしょう。

しかし、ここでは、それはそんなに長い時間を要するのではないと話しています。人を癒し、自分が癒されるのには、ただの一瞬を差し出すだけだと。その一瞬が永遠に変わるのです。

So be it.