14章3罪責感をなくする決意 その1

The Decision for Guiltlessness

喜んで学ぶ者は学習することに罪責感を感ずるはずがない。これは学ぶときにとても重要なことなので絶対に忘れてはならない。

おそらくあなたは、ただ罪の意識からくる痛みを消すために、罪責感を抱かないでいようとすることに慣れており、罪責感を抱かないこと自体に価値があるとはみなしていない。

私たちは、自分に罪がある、自分が悪いという痛みを感じたくないので、罪責感を自覚しないようにして生きている。それが習慣になっている。しかし、罪があるという意識を感じないようにするだけでは、罪責感をまったく抱かないことの価値はわからない。罪責感を抱かないとは、自分を含めて誰のことも責めないということだ。誰にも罪はないとしてこの世界を見れば、それまでとは全く違う世界になっていることに気づくだろう。

私は、今は罪責感を心の中に探すことができません。私には、過去に自分を責めてやまない出来事があったのですが、それさえも遠くの出来事のように思えます。思い出す度に心がひりひりと痛くなっていたのですが、今はそういう感情を伴うこともありません。

それは、自分自身の罪責感をなくそうとして、なくなったのではないのです。他者を責める気持ちに気づき、その人は責められるようなことはなにもしていない、と私が認め、自分の思考を訂正したこと。そのプロセスによって、いつの間にか、自分を責める気持ちがなくなったのだと思うのです。ですから、自分の思考を訂正するには、他者に対しての思いに気づき、それを正すことが大切だと思います。そうすれば、自分を癒すことができるのです。

罪責感から感じる痛みに引きつけられそうになるたびに、それに応じると自分の幸せに背を向けようと決心しているようなもので、どうすれば幸せになれるのか学べなくなってしまうということを思い出してほしい。

There is nothing to forgive.
許すべきことは何一つない。
No one can hurt the Son of God.
誰一人として、神の子を傷つけることのできるものはいない。
His guilt is wholly without cause, and being without cause, cannot exist.
誰にも罪責感を抱く根拠、つまり原因は全くないし、原因がなければ罪責感はないはずである。

So be it.