運ばれて生きる

14章4には、
ここ(この世界)での(あなたの)役目は、自分が何を望むのか分かっていないということを認めて、ただ自分の欲しいものが何なのか決めようとするのに反対することだけである。とあります。

つまり、奇跡のコースでは望むことも、考えることも、聖霊にゆだねて生きていくのがよい、ということを言われています。もちろん、多くの方が、それはおかしいと思われるでしょう。じゃ、自分では何も考えなくていいの?、と。

私たちは自分で考え、決め、計画し、行動し、結果には責任をもつ。それが正しいことだとして生きいます。

しかし、奇跡のコースの教えはそうではありません。自分(自我)で決めるのではなく聖霊に決めてもらいなさいと。

これはどういうことを言っているのでしょうか?

私自身の話で申し訳ないのですが、過去に辞めて以来、もう7、8年、ほとんど仕事をしないで生きています。家族のお陰で奇跡のコースの勉強ができる環境にあり、私はこれだけで満足しています。もちろん、社会にいつかは復帰すると思いますが、聖霊が次の展開を教えてくれると信じています。

それでも、このままでいいのだろうかと小さな不安が浮かぶことがあります。いつ、動き出せばいいのだろうか、と。

今日は敬愛する友人にそのことを話しました。

すると、聖霊はすべてをわかっている。その聖霊がみえないところで動き、準備をしている。自分のエゴで考え、行動してもうまくいかない。大きな流れはみえないかもしれないけれど、自分を乗せた船は確かに前に進んでいる。待っているのではない、確かに進んでいるだから。いつかサインが現れる、それを信じること、ゆだねること・・・(そうか、そうだね。)

その人も人生の大きな節目に「神にまかせなさい」と声が聞こえて、自分で強引に物事を進めることを手放したそうです。その後、2、3年かかって、関わっている人すべてが満足する形で、展開していくことができたそうです。

今の社会の人々が自分の考えて動き出さずに、舵取りを聖霊にまかせ、自分はじっと船に座って運ばれて行くのにまかせることができれば、世の中はもっと調和のとれた世界になるだろうとも話していました。

14章3
そのみんなにとって良いことだけをもたらせるということを決める責任を、全部自分で背負うつもりだとでもいうのか。それが何か(あなたに)わかるだろうか。

聖霊になら、それがわかるのです。だから、すべてをゆだねるのです。自分で考えようとする小さな私を明け渡して、聖霊のサインを待つのは、これまでの生き方とまるで違います。これはこれで、私にとっては挑戦ともいえる生き方です。外からは決してそうは見えないことは知っていますが(笑)。