15章7無用の犠牲

7. The Needless Sacrifice

人と人の関係について語っている、とても興味深いところです。
チャンスがあれば、全文を読んでくださいね。

あなたを満足させてくれる愛はほかにない、
他の(神以外の)愛などないことは確かだから。
Being complete, it asks nothing.
(神の愛は)完全であるから、何も求めたりしない。

一方で自我が作る関係は
・特別なもの。単に何かを手に入れるために特別な関係を作る。
・その上、与えてくれる人に罪責感を抱かせて自我に縛りつけて
 おこうとする。
・自我が人間関係を作るときは怒りを利用する。怒ることで友情が
 得られると思っている。

・自我が人を引きつけておく手段として自責の念を利用する。

(人は)ひっきりなしに次ぎから次ぎへと尽くしがいのない特別な関係に乗り出すわけだが、そんな関係は怒りのためにできたのだし、自分以外の者に向けて怒りをぶつければぶつけるほど、自分はより安全になれるなどと、正気とはいえない信念のためにのみ必死に尽くしているのである。

怒りを表現すれば、ただ怒りが増したり、自責の念がわくだけなのに、相手にぶつければ自分は安全で正しいと感じられると信じている。よく考えると人はおかしなことをしています。

自我が関わる関係はどれもこれもみな、己を犠牲にすることでより大きくなれるとの考えに基づく。自我はその「犠牲」を清めと見なすわけだが、実のところそれがもとで苦々しい恨みを抱くようになる。

相手を少しも愛してなどいない。単に犠牲的行為が性に合うと信じているだけだ。

自分は自分自身にこんな犠牲を払うことを課しているのだから、相手も同じように罪責感を抱き犠牲になって当然だという。

孤独を恐れるがゆえに関わり始めたにもかかわらず、なおも寂しい思いを抱き続ける生活に身をおかざるを得ず、腹立たしいような同盟を結んで、相手によりいっそう罪責感を抱かせるようにすることで気休めにしている。

怒り、攻撃、犠牲。これらは私たちの人間関係と密接にかかわっています。しかし、本当の愛はそれとは無縁なものです。

罪責感こそ自我が必要とする唯一のものであり、あなたがそれと一体感を持っている限り、ずっと罪責感に引き付けられたままになる。

奇跡のコースでは犠牲になるのではなく、許しを与えなさいと言っているのです。

次回へつづく。