14章1学ぶための条件
The Conditions of Learning
自分のために成されたということ、自分にとっては未知のこと、どうすればそれが分かるようになれるだろうか、それにはそうしたことはすでに為し遂げられたこととして、自分の成すべきことをするしかないだろう。
自分自身が愛されていると知るには、愛を差し出すこと。
自分が祝福されていると知るには、人を祝福すること。
自分の中にあるからこそ、人に与えることができるのだから。
完全に許されたいと思うなら、人を許すこと。そうすれば、自分に罪がないことがわかり始めると、コースでは教えています。
この世の論理に従うと無に帰することにならざるを得ないというもの、それが実存しないものを目指しているからである。
この世界の論理は全く気違いじみており、それに従うと無に帰することになると教えてくれるものなど、この世には何一つない。
いつかは失ってしまうもの、取り上げられてしまうものを、みんな、この世界では追い求めています。大切なのは、自分が本当に求めてやまないものは何か、ということに気づくこと。
聖霊は単にその思考体系の基礎を見たうえで退けるだけだ。ところが自分で作ったものを取り消せもせず、そのためにうっとうしく感じさせられる重荷からも逃げ出せずにいるような者は、それを見抜くことが出来ない。それにだまされてしまうというのも、自ら選んで思い違いしているからだ。
何を思い違いしているのか、誤解や錯覚で出来上がっているこの世界をどう見れば正しく知覚したことになるのか、それを教えているのが、この奇跡のコースです。