14章5贖罪の輪
The Circle of Atonement
誰もみな贖罪において果たすべき特別な役があるが、各自に与えられた伝言は全部同じ、神の子に罪責感はないということだ。
一人ひとりその伝言の教え方は違うし、習い方も異なる。
ただそれを教え、また習うまでは、自分の本当の役目を果たさないままでいるという、ぼんやりとした気づきの痛みに苦しむだろう。
もし、贖罪の道を歩き始めなければ、人生で何かやるべきことがあるはずなのだが、それはいったい何なんだろう?と、そんな満たされない思いを感じたまま生きていくことになるのです。
神の祝福を受けた者を誰が非難できるだろうか。
すべての人々が神の祝福を受けて創造されているので、非難されるべき人はどこにもいないのです。
いまここであなたが成すべき唯一の天職は、積極的な気持ちで、罪責感がどんな形で現われようと、それをすべて否定するために専念すること。
誰かを責めることは、(その人を)理解しようとしていないことになる。贖罪を喜んで学ぼうとする者は、神に創造されたすべてのものの権利である潔白さを教える者となる。
つまり、すべての人に罪がないと認めること、そしてそれを人々に教える人になるようにと、教えられています。
そもそも罪責感のないすがたを否定したがために癒しを必要とするようになったわけで、奇跡とはその罪責感のないすがたを認めることである。
あなたが罪責感から解放することになる相手、その一人ひとりのおかげで自分の潔白さがわかってくるのは必然的。
自分の罪責感を潔白であるという気持ちに換えるには、人の中に罪をみないこと。人を攻撃しないこと。そうすれば、自分の中にも罪を見なくなる。その人達のおかげで、自分の潔白さに気がつくのです。
私たちは日常で、相手が悪い、間違っているというレンズを通して物事をみていることがよくあります。それを、相手は間違っていないかもしれない、相手も正しいと信じて行動しているのかもしれない、もっと言えば、相手は相手なりの愛を伝えようとしているのかもしれない、相手はただ愛されないと、怖れているだけかもしれない、という所から見始めるのです。
The circle of Atonement has no end.
贖罪の輪に終わりはないのである。
その神聖な輪の中には、神に御子として創造された者が一人残らずいる。
静かにこの輪のなかに立って、その平安で神聖なるがゆえに安全なところにいるあなたに加わるようにと、心をひどく痛めているみんなを引き寄せてほしい。
だれ一人追い出したりしないように、あなたと一緒で、その人の探し求めるものがここにあるのだから。
So be it.