15章9聖なる一瞬と神の魅力

私たちが「自分」というとき、普通は身体を切り離しては考えません。
身体あってこその人である、と。
しかし、奇跡のコース(ACIM)では、身体は乗り物であり、
私たちは意識であると言います。

The body is the symbol of the ego, as the ego is the symbol of the separation.
からだは自我を象徴し、同様に自我は分離を象徴する。

そして両方とも意思の疎通を十分おこなえなくして、
やがては不可能にしようとする企てにほかならない。

聖なる一瞬において、からだの代わりに偉大なる光線に気づくと、
限りなき関係というものを再認識したことになる。

身体が隣にあっても、心がないとき、人は寂しい思いをします。

身体ではなく心のつながりを大切にしなさいとここでは言っています。
身体には限界がありますが、心にはありません。


In the holy instant there are no bodies, and you experience only the attraction of God.
聖なる一瞬にはからだはなくなり、神の魅力だけを実感する。

私たちは自分の脳を通して、世界を認識しています。
本来の姿ではなく、分離した姿として。

瞑想をすると、身体は消えてなくなります。
そこにあるのは意識だけです。
そのとき、「あるがままの私」とは、この意識なのだと理解することができるのです。