2011-05-01から1ヶ月間の記事一覧
The God of Sickness自分を身体だと信じている者は、自分で身体というイメージを作りだしておいて、それを嫌うことをしている。病気になっている人は、その偶像を自分で攻撃していることになる。偶像(身体)には何の価値もないのだが、身体を信じている(崇…
ここのところ、まともに瞑想ができていない。昨夜は、久々に 和尚 OSHO の「存在の詩」(めるくまーる刊)を ぱらぱらと読んでいた。すると興味深い記述が。和尚 OSHOは、思考を止めるには、まず口を閉じることが大切であると言っている。口を閉じることは当…
The Decision to Forget 自分が何者であるか知れば、神の国 ONENESS に戻ることを決意すれば、恐れから解放されるということを、奇跡のコースでは教えています。私たちは常に恐れているので、他者をつい攻撃してしまいます。それは、自分の心に気づいていれ…
At Home in God ここもとても短いのですが、すべてが祈りの言葉のように響きます。 So be it と言いたくなります。あなたは神のうちなる自国にいるのに、亡命生活をしている自分を夢に見ているようなものだが、完全に実在に目覚めることもできる。あなたが思…
The Idols of Sickness Introduction ここは短いですが、原理が書かれているので、全部をご紹介したいくらいです。あなたに恐れを抱かせたり、愛に満ちた思いを抱かせるのは自分自身だけだ、あなた以外には何もないのであるから。実在は、ONENESS です。私は…
Grandeur versus Grandiosity ここでは、まず、自分の中にある 神の質である Grandeur( 偉大さ 壮大さ 深遠さ 崇高さ )をかすかでも気づけば、その度に自動的に自我を放棄すると言っています。あなたの崇高さからはあなたは祝福できるだけだ、その崇高さはあ…
The Two Evaluationsあなたは自分をどんなふうに評価しているのでしょうか? 自分を自分でさげすみ、価値がないと言ったり、不幸であるのは当たり前だとしたり、・・・。それは自我があなたに下した評価。自我はあなたを愛していないから。自我はあなたが何…
The Acceptance of Your Brother 奇跡のコースでは、与えることは受け取ること、という法則を教えます。自分が何を他の人々(兄弟たち)に与えているのか、それによって受け取ることも決まってくると。自分が差し出した以上のものは受け取れないのです。人々…
The Unhealed Healerここでは、いわゆる心理療法のセラピストについて語られています。 奇跡の学習コース(ACIM)の作者であるヘレン・シャックマン博士とウィリアム・セットフォード博士は両者とも心理学の教授であり、医師です。そのふたりが9章5を書い…
The Holy Spirit's Plan of Forgiveness その2あなたには贖罪において果たすべき役割があるが、 その贖罪の計画はあなたを超えている(あなたにはわからない)。人生を振り返って「あのとき経験は、このためだったのか」とはたと気づくことがあります。覚醒…
The Holy Spirit's Plan of Forgiveness その1贖罪はみんなのためである、これこそどんなものも自分ひとりのためだとする信念を取り消す方法であるから。贖罪とは、私たち自身についての誤った認識を訂正し、本当の自分に戻ること。目覚めること。それは自…
瞑想で自分が感じたことを書こうとすると すでに、どこにでもあるような言葉になってしまいます。ですが、自分にとって本当のことなので やっぱり書いておきます。昨夜の瞑想では幸福感に包まれていました。幸福は外側に依存していないということが はっきり…
The Correction of Error その2数日前、友人Aさんと話している時に、失礼な人がいるという話になりました。ひどい言葉づかいで、話していると自分が攻撃されているように感じるので、それを訂正するように言いたいと。そういう気持ちはわかります。しかし、…
The Correction of Error その1自我にとっては、間違いを指摘しそれを「訂正する」のは親切で正しくよいことだとする。 しかしながら、 間違いは自我のものであり、その間違いの訂正は自我を放棄することにある。もしあなたが兄弟の自我の間違いを指摘する…
The Answer to Prayer神に祈ったり、聖霊にお願いしても叶えられなかった願いがあると感じることがあります。ここではその話から始まります。願いが叶わないように見えるのは、それは、私たちが望むことの根底に恐れがあるときです。願いが叶うことが、恐れ…
人生を振り返ってみて、あのとき別の選択ができていれば、と考えることはあります。もっと忍耐があれば、よく考えていれば、自分に正直であれば・・・どの分岐点においても、今なら他の選択肢を思いつくことができます。しかし、限られた選択肢であったとし…
The Acceptance of Reality神の意志を恐れるということは、今までに人の心が作り上げた最も奇妙な信念のひとつである。日本にも天罰という言葉があるように、聖書に限らず、私たちは神が人間を罰するという思想をもっています。奇跡のコースでは、それは人間…
Healing as Corrected Perception その2昨日の内容に加えて、紹介したいところです。あらゆる実在にはまったく罪はない、完全に無辜(むこ)であることはその実在の条件なのだから。それはまた、あなたが実在を自覚するための条件でもある。あなたが実在を捜…
Healing as Corrected Perception その1いくつかとても興味深いテーマがあるところです。まず、身体と病気についてのテーマ。 聖霊に身体を癒して欲しいと頼まない方がよいと言われています。それは、身体が心を離れて存在するという信念を認めることになる…
The Body as Means or End 奇跡のコースでは、自我を自分とみなさずに、距離をおくように、そうして最後には消え去るようにしようと教えます。自我がいったいどんなことをしているのかを度々話しているのですが、ここでは身体をどう利用しているのか、という…
The Body as a Means of Communication 自分自身を身体と等しいと考えるなら、いつもゆううつな気持ちになってしまう。神の子供が自分のことをこんなふうに思うなら、自らを卑下しているし、自分の兄弟たちのことも見下げている。その人は兄弟たちのうちにの…