15章6聖なる一瞬と神の法則 その1

The Holy Instant and the Laws of God

ひとつの関係を生かそうとして、もうひとつ別のを犠牲にしたら、
決して罪責感にさいなまれずにはすまない。
同様に、ある関係の一部を非難しておいて、
その関係のなかで心の平安を見いだそうとするのも不可能。

(関係の)一つひとつが自分を十分満足させてくれると
完全に信頼するようになるのは、ただ自分自身を完全に
信頼できたときである。

あなたが自分自身をほんのわずかしか信頼しないのは、
自分の心のなかに完全な愛があるという事実を、
受け入れる気持ちになれないからである。

だから自分の外には見つけられないものを、
あえて外に求めている。
ここは、短いのですがとても大切なことを語られているので
その1、その2に分けて紹介します。

自分自身を信頼し、自分の中に完全な愛があると気づけば
自分が関係の中で失うことも傷つくこともないのです。

キリストは、自分で自分を信頼できないのなら、
私があなたを完全に信頼しようと言っています。
それはすべての人を等しく信頼するという意味です。

キリストとは、ひとりの生きた人間を指す言葉ではありません。

キリストとは神の子としての身分にあるものが分かち合う
真の自己であり、それは神が自らをキリストと
分かち合われるのと同じである。(15章5より)

つまり、ONENESS、すべてということです。

私の瞑想体験で、神の子である自分を経験したことがあります。
それは、ひとりの子なのです。ONEであり全体です。

「ああ、神がひとりの子を創造されたというのはこういうことか」、
とその時思いました。
それがキリストであり、あなたであり、わたしです。

私のささやかな聖なる一瞬の体験です。

So be it.