9章6兄弟を受け入れること

The Acceptance of Your Brother

奇跡のコースでは、与えることは受け取ること、という法則を教えます。自分が何を他の人々(兄弟たち)に与えているのか、それによって受け取ることも決まってくると。自分が差し出した以上のものは受け取れないのです。人々の中に喜びをみるように、私たちは一貫して与え続けることを求められています。

そしてまた、ひとりで行ってはならない、兄弟たちも一緒に連れていくように、彼らの中に完全さを見るように、というのも度々出てくる教えです。

完全なすがたは分割できないものだが、あなたがその完全さをあらゆるところに見るようになるまでは自分の完全さがわからない。

人の中に完全さを見ることができなければ、自分の完全さもわからないと教えています。あの人と私は違うとか、あの人にはわかるはずがないとか、あの人はここが変わらなければ、といったことを考えているうちは、自分の中の完全さをみることはできなのです。すべての人がありのままで完全である、それがわかることが求められています。今はまだ、現実には難しいと感じるでしょう。でも、まずこの考えを受け入れてください。今は自分には理解できていないが、人も自分も完全なんだと。

聖霊はただほかの者たちを目覚めさせるようにとだけ、あなたに教える。

その人たちが目覚めるのを見るにつれて、目覚めとは何を意味するのかを学ぶだろう、それにあなたがその人たちを目覚めさせることを選んだので、自分の与えたことにたいしてその人たちが感謝し、それの真価を認めているということが、あなたにそれの重要さを教えてくれる。

自分自身のために奇跡を成すことはできない、奇跡は受け入れるという機会を与えたり、受け取ったりする一つの方法であるから。

奇跡のコースは、目覚めるための学習です。21世紀、今の時代は、どこか人里離れたところで修行をして、ひとりで目覚めるようにはなっていません。たくさん人がいるこの社会の中で、人々と共に行くのです。自分が学ぶのと同時に人にも教えます、話します。そうして、人々の気づきが増すごとに、自分自身の気づきも強められ、光を増すのです。奇跡はひとりで成すものではなく、受け取る機会を与えたり、受け取ったりする方法だと言っています。人がいて、初めて成立する学習方法だということです。聖霊の声も兄弟を通して聞こえてくると言われていましたね。

この世においては自分の兄弟を受け入れ、何一つ他のものを受け入れないことだ、なぜならその兄弟があなたとともに創造したので、その兄弟のうちにこそ自分の創造したものを見いだすことになるからである。

あなたは自分の兄弟があなたの共同創造者だと分るようになるまで、自分が神の共同創造者だとは決してわからないだろう。

昨夜、私は瞑想していて、私を支えてくれている人々を思っていました。親、兄弟、友人・・・その友人を支える人々もいてくれる、ひいては社会でさまざまな役割を担う人々・・・。そうすると、なんとも言えない感謝の念が起きてきました。私、この小さな存在はなんとたくさんの人々の存在とつながり、支えられているのかと。兄弟たちがいて、自分がいる。その有り難さを感じていました。兄弟たちを受け入れる。受け入れないでは、存在することもできないではありませんか。