9章3間違いの訂正 その1
The Correction of Error その1
自我にとっては、間違いを指摘しそれを「訂正する」のは親切で正しくよいことだとする。
しかしながら、
間違いは自我のものであり、その間違いの訂正は自我を放棄することにある。
もしあなたが兄弟の自我の間違いを指摘するのなら、自分の(自我)を通して見ているに違いない、聖霊はその兄弟の間違いを知覚しないのだから。
私たちは日常で、誰かの間違いを指摘したくなります。相手を正そうとします。そうしてあげることが親切だとも思います。しかし、それはしなくていいことだと奇跡のコースでは教えます。間違いを見つけるのは自我が行うことであり、聖霊ではありません。人の間違いを指摘していると、自分で聖霊を選択しないで、常に自我を選択していることになるのです。道に迷ってしまいます。
自分の兄弟を変えるのはあなたの責任ではない、ただその人をあるがままに受け入れるだけでいい。
どんな風にであれ、あるきょうだいを正そうと試みれば、それはあなたが自分で訂正することは可能だと信じていることを意味し、こんなことはただ自我の傲慢さでしかない。
時間のうちでは、ただ癒すという役目だけ受け入れてほしい、時間はそのためにあるのだから。
So be it.