9章3間違いの訂正 その2

The Correction of Error その2

数日前、友人Aさんと話している時に、失礼な人がいるという話になりました。ひどい言葉づかいで、話していると自分が攻撃されているように感じるので、それを訂正するように言いたいと。

そういう気持ちはわかります。しかし、私は、攻撃されるというのは自分の錯覚、誤解だから、自分が攻撃され得るという考えを手放した方がいいのでは? と話しました。

Aさんはそのとき、そういえば、以前、突然、怒り出した人がいたけれど、そのときは自分に思い当たることが何もなかったので、少しもその怒りに影響を受けなかった体験がある、という話もしてくれました。

人の言動が気に障ったり、直して欲しいと思うのは、それは、自分で自分を責める気持ちがある、認めない気持ちがある。まだ、自分を十分に癒せていないというサインだと思います。

それに加えて、この「9章3間違いの訂正」を読んで、私はわかっていなかったなぁ、もう少し違う風にも伝えられたかもしれないと思いました。

兄弟の間違いはその人の真理からくるのではない、その間違いは自分の真理に何も影響を与えない、そのことをわかっていればいいのです。自我の自尊心にはなんの意味もないと。

その間違いに反応すれば、あなたにとってそれを本当にすることになる。

昨日のブログに入れてありますが、人を正そうとする自我の試みは傲慢であると言っています。難しいですが、間違いに反応しないように努力するしかありません。反応しようとする自分に気づいていることが求められます。人に対する、どんな些細な批判、批難、訂正を求める気持ちも見逃さないことです。気づいたら、聖霊に頼んで手放しましょう。

聖霊は、あなたにあらゆるものを非難することなく見つめるにはどうすればいいのかを学んで、いかに自分自身を非難しないで見ればいいか教えてくれる。そうして、非難することは自分にとって本当ではなくなり、あなたの間違いはすべて許されるだろう。

So be it.