10章3病気の神

The God of Sickness

自分を身体だと信じている者は、自分で身体というイメージを作りだしておいて、それを嫌うことをしている。病気になっている人は、その偶像を自分で攻撃していることになる。偶像(身体)には何の価値もないのだが、身体を信じている(崇拝している)ので破壊することもできると信じている、といった話から始まります。

病気の神とは、病気になる人々(私たちすべては神の一部なので)のことを指しています。神は人々の病を癒したいと考えているのです。私たちは、自分を身体というイメージに結びつけることをやめるような力を授けられています。そして、自ら作り出したイメージを攻撃したり、傷つけたりができるという幻想を捨て去ることを、求められているのです。

神の子は病気になることがあると信じると、神の一部は苦しむことが有り得ると信じることになる。

愛は苦しむはずがない、それは攻撃することなどできないのだから。

神の子が病気になっていると信じると、その人が崇拝するのと同じ偶像を崇拝するということになる。

まさにそのように自我は神の子を見て取る ; 病気の神であり、自ら創りあげたものであり、うぬぼれが強く、ひじょうに意地が悪く、きわめて傷つきやすいものであると。

人が病気になっているとき、その人と同じように病気があると認めないこと。身体や病気は実在ではないと、自分が認めれば、それは人々の気づきを助けることになるのです。実在では私たちは、ONENESS なのですから、ひとりの認識はすべてに影響するのです。

神は偶像崇拝ではなくて、愛を創造なさったのである。

神の国には偶像崇拝者などいないが、ただ神が創造なさったすべてのものに対する深い感謝の念がある、それは各自が神の大切な部分であると心静かに知っているからだといえる。

私はあなたを知っているのであなたを癒せる。

完全な心は偶像崇拝をしないし、矛盾する法則というものを知らない。

何が真理であるのかを、私たちはあまりにも知らないで生きています。みんなで作り出したこの幻想の世界では、人は身体をもち、自分自身でその身体を嫌い、攻め、病気になります。

私たちは、病気はどこからかやってきて、まるで自分は被害者であるかのようにさえ感じます。しかし、そうではない、何を真実として選ぶのかよく考えないさいと奇跡のコースでは教えているのです。