9章4聖霊の許しの計画 その1

The Holy Spirit's Plan of Forgiveness  その1

贖罪はみんなのためである、これこそどんなものも自分ひとりのためだとする信念を取り消す方法であるから。

贖罪とは、私たち自身についての誤った認識を訂正し、本当の自分に戻ること。目覚めること。それは自分のためであると同時にみんなのためでもある。それは、私たちみんなでひとつ、ONENESS の意識だからです。それが根本にあるということを、いつも心に留めておくことが求められています。自分さえよければ、人より自分、という意識は間違い。目覚めるという最も大きなテーマも、実は、すべて all のためです。

To forgive is to overlook.  許すとは大目に見ること。

「許す」のは、難しいテーマですね。家族や友人、職場、あらゆる人間関係の中で「許せない」と思うことは、些細なことから心の傷となるような大きなことまで、とても多い。それは、いつも自分が正しいと判断してしまうからです。話し合っても、お互いに相手を理解したり、許したりすることはなかなかできません。場合によっては、互いに一歩も譲らず、話し合うことすらできないこともあります。死ぬまで理解してもらえないのかと、悲しくなることもありました。

しかし、私は、今は「許せない」と思うことがなくなりました。奇跡のコースを読んでようやくわかったのです。

許されなければならない人など、許しを必要とすることなど、どこにもないということを。

全ての人が許されている。もし、誰かが何かをしたとしても、それは自分が誰であるのかを忘れているから。この世界を誤って見ているから。間違った考えを事実だと信じているから。ただそれだけ。だから、許そう。そして、誰も許しされる必要はないことを思い出そう、と。これは瞑想を通しての体験からきているものでもあります。

すべての人が自分が何者であるかわからないで生きている。自分を自分で否定し、人も否定しているのに、認められたいと思っている。それは、分離しているために、間違った考え方をもっているからです。

みんな同じ、すでに許されている。誰も許されなければならない人などいない。その視点に立つのです。そうすると、ここで言われているように、大目にみることがいともたやすくできます。というか、大目にみるという意識もなくなります。あるがままでオーケーです。