9章5癒されていない治療者

The Unhealed Healer

ここでは、いわゆる心理療法のセラピストについて語られています。
奇跡の学習コース(ACIM)の作者であるヘレン・シャックマン博士とウィリアム・セットフォード博士は両者とも心理学の教授であり、医師です。そのふたりが9章5を書いた時にどんな気持ちだったのだろうと、ふと思いました。私自身も、心理療法などを扱う分野に携わっていましたので、この内容は興味深いものです。

私は、さまざまな心理療法の現場にも行きましたし、セラピーを受けたこともあります。それで全く効果がなかったとは思いません。人間の理解に役立ちましたし、見方の幅ができ、自分の感情の対処法などを得たと思います。また、こうして奇跡のコースを理解することができるのも、これまでの経験を通して学んできたことが、ベースにあるからだと思っています。(奇跡のコースに影響を受けたセラピストや指導者がいたので、そこから学んできているのかもしれませんが)

しかし、ここで言われているように、セラピーが本当に人を癒すのかと言われれば、それはNOだと言わざるを得ません。心理療法では、自分がどんな問題をもっているかは明らかになります。けれど、そこから出て行く道がなかなか見つからないのです。一時期、「首刈り族」という言葉が流行ったことがあります。いろんなセラピーを渡り歩く人たちが、現場でセラピストをやり込めるのです。情報だけはたくさんあるけれど、癒されないことにいらだちを隠せなくなるのでしょう。

癒すには、目覚めることしかありません。セラピスト自身も覚醒を求めることでしか、人を癒せないのです。身体を扱う場合もそうです。いくらなおしてあげても、患者はまた状態を悪くして戻って来ます。

空想のなかに真理を探そうとする治療者は、どの人も癒されていないに違いない、真理をどこに捜すべきか分かっていないし、そのために癒しの問題についても、答えを持っていないのだから。

療法士は癒すのではなく、癒しをそのままにさせておくのである。
心の闇を指摘できるが自分自身の光をもたらすことはできない、光は自分のではないのだから。

奇跡を行うものは光を知覚することから始め、その光を絶え間なく拡張し、それを認めてもらえることを受け入れていくことで自分の知覚を確実なものへと変える。

【補足】 2011.5.22記

光とは理解力であるとコースでは言っています。

たとえば、攻撃されることがあるという認識から、決して攻撃はない、それは自分の思考が作り出している錯覚であるという見方をする(認識を変える)こと。それが光(理解力)です。

光がセラピスト、治療者にあれば、治療を受ける人の中に光を見いだせます。そして、治療を受ける人も、治療者の中に光を認めることができるようになります。こうして、光は拡張していくのです。このとき、治療者の中の光(理解力)は一層確実なものとなる、ということです。

そして、変えられた認識は、本当の知識へと変容する(悟る)のです。

言い換えれば、内側にあるのものを外に見る。この法則は「教えることが学ぶこと」と同じです。

また、人を癒すのは治療者ではなく、聖霊にゆだねるという姿勢も必要です。

まとめると、人を癒すセラピスト、治療者は、自分自身が覚醒への道を歩き出していることが求められている。人の中に認識を変える力(光)をみることで、自分の光が広がり、強められる。常に自我ではなく、聖霊のガイドに従いなさいということになります。