17章4ふたつの絵

The Two Pictures

人生は幸せになるためにある。親密な関係においても幸せであれば、本物です。
しかし、自我は相手を利用して、自分自身を攻撃するというドラマを作り出すので、
人は、親密な関係で幸せを感じ続けることが難しくなります。
では、私たちは親密な関係をもつことはできないのでしょうか。そうではありません。
自我はいつも自分が正しいと防衛しようとしますが、それは妄想的な思考から
そうしているのであって、それに気づけば、変えていくことは難しいことではない
と教えています。

For nothing God created is apart from happiness,
and nothing God created but would extend happiness as its Creator did.
神の創造なさったものは何ひとつ幸せからかけ離れたものなどないし、神の創造なさったものはひとつ残らず、創造主にならって幸せを広めようとせずにはいないのであるから。

Whatever does not fulfill this function cannot be real.
何であれこの役目を果していないものは、本物ではありえない。

I have said repeatedly that the Holy Spirit would not deprive you of your
special relationships, but would transform them.
私が繰り返し述べたように、聖霊はあなたから特別な関係を奪ったりせず、
ただそれを変化させてくれるだろう。

さらに、ここでは、ふたつの絵と額縁のたとえを使って、
自我の見せる防衛法と、真理の絵の違いを語っています。

自我の絵の額縁は、いろいろと奇抜で断片的に愛だと錯覚させるようなものが
たくさん織り込まれており、犠牲行為や自己強化といった夢と組み合わせて、
自滅的な金色の糸が織り交ぜてある。絵は暗くてよく見えないが、
よくよくみると何の意味もないとわかる。

一方、実在の絵は、シンプルな額に、聖なる一瞬、天国の縮図が描かれている。
額に入っているから絵のように見えるが本当は永遠の世界を一瞬に見られる。

どちらを選ぶかは明白です。

The whole reality of your relationship with him lies in our relationship to one another.
あなたと彼(神)との関係の真実のすがたはすべて、
我々がお互いにどう関わり合っているかに見られる。

親密な関係の中に、私たちが心にある神(実在の自分)をどうとられているのか、
ということが現れているということです。
私たちが神とひとつであるとわかっていれば、現実の関係も幸せなものになっているはずです。
自分が神から遠く離れていると信じ、孤独と怖れのなかにあると信じていれば、
そういう関係性を選んでいるということです。

So be it