17章3 過去の影

Shadows of the Past

生きていると「許せない」と思うことはあります。親子、兄弟、友人、恋人、夫婦、
あるいは仕事での人間関係、もっと大きな、国際関係においても・・・。

ここでは、その「許せない」という思いは、私たちが作り出した影の姿であり、
真実ではないといっています。

They represent the evil that you think was done to you.
そんな影の姿は、あなたが自分にされたと思い込んでいる邪悪を象徴する。

私たちは実際には起きていないことを、されたと思い、他人(相手)が悪いと思い込み、
報復をしようと考えます。それは、日常のほんの些細なことにも忍び込んでくる思い込みです。自分が正義であり、傷つけられたのは自分の方だといって、自分を守ろうとします。

The shadow figures always speak for vengeance,
and all relationships into which they enter are totally insane.
影の姿をしたものは復讐行為を弁護するのが常であり、
そんなものが入り込む関係はどれもみな完全に正気を逸している。

過去からの思い込みというレンズを通して今を見ているために、
私たちはゆがんだ世界を見ています。
それを完全に正気を逸していると言われているのです。

If all but loving thoughts have been forgotten, what remains is eternal.
もし、愛に満る思い以外はすべて忘れ去ったなら、残っているのは永遠なるものである。

That is why Atonement centers on the past, which is the source of separation,
and where it must be undone.
だから贖罪は過去のことに焦点を合わすわけだし、そこに分離の源があるので、
そこで取り消されなければいけないということだ。

贖罪とは、相手を許し、自分を許し、相手の中に罪をみないということです。
真実は誰の中にも罪はないのです。

For separation must be corrected where it was made.
分離はそれを始めたところで訂正される必要がある。

The ego seeks to "resolve" its problems, not at their source,
but where they were not made.
自我は色々な問題を、その源ではなくて、
それが起きてもいないところで「解決」しようとする。

何が問題で、どうしたら解決できるのかを話し合っても、堂々巡りになることがあります。
それは、起きてもいないことを話し合っているからです。
問題の源はどこにあるのか、
どこから世界をゆがんで見るようになったのか。
それを訂正することが大切だと教えています。
それが起きた根源は、私たちの思考の中です。

And with each step in his undoing is the separation more and more undone, and union brought closer.
そして聖霊が一つまた一つと取り消すたびに、
分離状態は徐々に解消され、統一された状態に近づく。

They were not created to enable you to hurt yourself through them.
あなたのきょうだいは、その人たちのせいにして
あなたが自分自身を傷つけることができるようにするために創造されたわけではない。

They were created to create with you.
あなたと一緒に創造するために創造されたのである。

Let me enter in the Name of God and bring you peace, that you may offer peace to me.
神の名によって私に入らせ、あなたに平安をもたらすことができるようにさせてほしい、
そうすればあなたも私に平安を差し伸べてくれることだろう。


So be it