13章9罪責感の暗雲

The Cloud of Guilt

自分自身を責める思いがあるので、人を攻撃するいう話から始まります。攻撃するというのは、批判、非難、相手を否定すること。喧嘩とまでいかなくても、日常で小言を言うとか、嫌みを言ったりすることも含まれると私は考えています。

また、今ではなく、過去にあったことを持ち出して人を攻撃することもあります。過去のあったことが許せないという思いは多くの人がもっているのではないでしょうか。それも、自分に罪があると信じているので、非難せずにはいられなくなるのです。

あなたが兄弟に罪の宣告をするなら、「私は有罪だし、そのままでいることを選ぶ」と自分で言っていることになる。その兄弟の自由を否定してしまったし、そうすることであなたは、あなた自身も自由であるということを証言してくれる人を否定してしまった。

私たちが人に対して言っていることは、自分に対して言っていることなのです。『ここが悪い』と誰かに言えば、とりもなおさず、それは自分へと返ってくる言葉であり、評価であり、宣告です。自分を含む誰にも、罪はないと、そこから今を見ること。そうすれば、これまでと世界は違って見えるはずですし、経験することも日々違っていきます。

The idea that the guiltless Son of God can attack himself
and make himself guilty is insane.
罪なき神の子が自分自身を攻撃したり、
有罪にしたりできると思うなら正気ではない。

罪を犯すのも罪を宣告するのも同じことなので、一方を信じるとはもう一方をも信じるということであり、愛のかわりに刑罰を求めていることになる。狂気の行為を正当化できるものは何一つないし、自分自身を罰して欲しいと要求するのは正気とはいえないはずである。

あなたが神の子に罪の宣告を言い渡すたびに、自分も有罪だと確信していると言っているようなもの。

神の子の一部の者にだけ罪の宣告をするのは不可能だということを常に覚えておくことである。

あなたの内面にあるのは、自分でそこにあるものと信じこみ、信頼しているものではない。そこにあるのは、御父があなたを完全に信頼しておられるという聖なるしるしそのものである。

So be it.