13章7実相の世界に達する その2

Attainment of the Real World

あなたのひとつの実在があなたに与えられており、それによって神はあなたをご自身とひとつであるものとして創造なさったのである。

あなたはまず平安を夢見るようになり、そのあと平安のうちに目覚めるであろう。

愛は歓迎されるのを待っており、時間を待っているのではない、それに実相の世界とはただあなたが常にあったものを喜んで受け入れるということだ。

奇跡のコースの教えに従うと、自分がこの世界でどんなふうに誤解をして生きているのかがわかってきます。誰も自分を攻撃していないことが真実として受け入れれば、攻撃にされることも、することも起きて来ません。この世界で自分が争いを経験することは徐々に少なくなります。

聖霊の導きを信じることができれば、自分でコントロールできない現実をなんとか制御しようと、恐れから、無駄な行動を起こすことも、先行きを不安に思うこともなくなります。そうして、この世は愛に満ちていることに気づき、幸せであることに感謝できるようになります。それは、自分の思考や感情をみつめることから始まります。

この後、物質世界で、私たちが手に入れようとするものについての話が始まります。自我はさまざまなものを欲しがりますが、そのほとんど不必要なものです。自我は所有することでその存在を確かめているようです。そして、手に入れてしまえば、それは古びていくだけ。永遠の輝きを放つ物などありません。永遠に大切なものは心の中にあるのですから。

あなたの世界では、あなたは確かにあれこれ必要とする。それは必要なものに不足している世界であり、あなたには確かに何かが欠けているから、そこに自分がいることに気づく。

だが、そんな世界にいて自分というものを見出せるだろうか。
聖霊がいなければ、できないだろう。

自我があなたに必要だというものは、ことごとくあなたを傷つけてしまうだろう。

手に入れたものは、それを握っているその手からさえもぎ取られ、ちりの中へ放り出されてしまう。

自我が救いと見るところには、実は分離を見ているので、そのため自我の名によって手に入れたものが何であれ、あなたはそれを失うことになる。

聖霊だけがあなたは何を必要とするのか分かっている。時間のうちにいる間、聖霊はあなたに必要なものをみな与えてくれるし、必要とするかぎり補充してくれる。何であれそれを少しでも必要とするあいだは、取り上げたりすることはない。

聖霊に導かれるあなたの旅は身軽で気楽な旅となるだろう、聖霊はいつも自ら目的とする旅路の終わりに目を据えて見ているのだから。

いつも導いてくれている聖霊は、私たちに必要なものがなんであるのかわかっています。物を所有することからは永遠の喜びは得られません。物で満たそうとする試みは、回り道を選んでいるようなもの。どこへ向かって旅をしているのかを忘れないことです。そして、必要なものは必ず用意されているのです。もちろん、楽しみとして得る物でさえも。

光りから遠ざかることになってしまうような、無益な旅路に出るようにとそそのかされるたびに、自分は何を本当に望むのか、それを思いだし、 次のように言うこと 
The Holy Spirit leads me unto Christ,
and where else would I go?
聖霊が私をキリストのもとへ導いてくれるというのに、
それよりほかにどこに行きたいだろうか。
What need have I but to awake in him?
キリストとして目覚める以外、自分に何が必要だろうか、と。

この世がただ後で取り上げるために差しだしてくれたもの、そんなすべての物と引き替えに、この平安を私から喜んで受け取るがいい。

あなたが住んでいるのは、ここではなくて永遠の世界である。

So be it.