13章6今を見出すこと

Finding the Present

あなたは現在のことを判断するために、自分の過去の経験をその基準として使うのは「自然」だと見なしている。ところがそうした経験は妄想的なものなので、そうするのは不自然なことだ。

あなたがすべての人を過去に全く関係なく見るようになったなら、しかもそうしたことを、ほかの人の過去として知覚するか、自分のとして知覚するかにかかわらず、そうできたら今見ていることから学べるようになる。
To be born again is to let the past go, and look without condemnation upon the present.
生まれ変わるとは過去を手放し、現在を非難せずに見つめるということである。

あなたがそうした過去を今も錯覚のなかで見るのなら、そこにはないにもかかわらず、それはあなたから去っていないことになる。

あなたは自分自身の目的のためには、時間を過去、現在、未来とに分けて、その継続性を破壊するつもりでいる。自分の過去の経験に基づいて将来を予測し、それに従って計画したりする。

けれども、そうすることであなたは過去と未来を同調させており、その間を取りなすことができる奇跡に、自分を自由にし、生まれ変わらせてもらっていないのである。

あなたは自分の過去を怒りのうちに作ったのだし、もしそれを使って今のことを攻撃したりすれば、今ここにある自由が分からなくなってしまうだろう。

あなたには審きや罪の宣告は過ぎたことであり、自分でそれを持ち出さないかぎり、そんなことからは自由な身だとわかるだろう。

過去を基準に考えたたり、過去のことにこだわるのは、私たちには普通のことです。しかし、奇跡のコースではそれは不自然なことだと言っています。過去や未来は存在せず、ただ今があるだけ。思考をあちこちに飛ばさないで、ただ今あることに集中していること。そうすれば、私たちはそこにある真実や愛、そして奇跡が起きてくるのを見過ごすことはないと言われます。

そうなるには、自分で意識していることも大切ですが、瞑想も役に立ちます。自分の考えがあちこち飛ばなくなり、無駄な思考が少なくなります。

愛を込めて今このときをよく見てみるがいい、今ここにこそ永遠に真実なるものだけがあるのだから。

光の子よ、あなたは自分のなかに光があると分かってはいない。けれどもあなたはその光の証人たちを通じてそれを見出すようになるだろう、その人たちに与えておいた光を戻してもらえるのだから。

あなたが癒す者たちはあなた自身癒されていることを証明してくれる、それというのも、その人たちの完全なすがたに、あなたは自分の完全さを見るようになるからだ。

愛はいつも愛へと導く。

ただ愛だけがある。それを自分にも人にも与え続けること。

キリストに目覚めるとは自分の自由意志で愛の法則にしたがうこと、それもそうした法則のうちなる真理を心静かに再認するからこそ従うということだ。
So be it.