13章5二つの感情

The Two Emotions

私たちが経験するふたつの感情とは、愛と恐れです。

恐れは、見えもしない光景や、聞こえもしない音で成り立っている錯覚を通して感じるものです。私たちは個々に異なる過去の経験をしているので、たとえば同じ景色をみても、感じることはさまざまです。その過去の経験は、自分がどう世界を捉えたのかということが含まれているだけで、他者のものは含まれていません。あくまで自分だけを通した現実であり、経験なのです。

私のまったく個人的な思いですが、全く同じ体験、同じ感情を分かち合うことがないのだと気づいた時、人はなんて孤独な存在なんだろうと思ったことがあります。

こうした奇妙で影のようなすがたを通じて、正気でない人たちは自らの狂気の世界とかかわりを持とうとする。

投影することを知覚するようになるわけで、それ以上のものを見ることはできはしない。

私たちが世界をまったく正気でない見方で見ている、体験をしている、そう奇跡のコースでは教えています。おそらく、私自身が人は孤独だと思ったことも、間違った見方をしているからです。

目を開いて自分の世界を見つめれば、あなたは自分が狂気の世界に引きこもっていると思いあたることがあるに違いない。そこにないものを見たり、音をたてないものの音が聞こえたりしている。

あなたがあらわにする感情はありのままの感情とは逆のもの。だれとも意思の疎通をせず、まるで全宇宙のなかで一人っきりであるかのように、実在から隔離されている。

狂気ゆえに実在を完全に見過ごしてしまい、どこを見ようとただ自分自身の分裂した心だけが見える。

では、どうすれば、実在の世界が見えるのでしょうか?

洞察力は光に左右される。暗闇で見ることなどできない。

私たちが見ている世界は暗闇の中で見ているのです。それは眠っている間に見る夢と同じです。光が射し込んでくれば終わります。

あなたは自分に与えられた洞察力で見てほしい、キリストは自らの洞察力によって自分自身をみつめるのであるから

世界を、起きてくることを、人々を、愛で見るのか、恐れから見るのか。それを選ぶことができます。

自らのうちなる真理を洞察力でみることで、この世の美しいものすべてがあらわれて自分たちの上に輝くのである。

So be it.