13章4時間の役割 その2

The Function of Time

そして、時間という重要なテーマに移ります。

自我は過去のことに重きをおき、それに注ぎ込む労力や心労をいとわないうえ、最終的には過去だけが有意義な時間の側面だと信じている。

過去のつぐないとして、将来罰を受けるという観念によれば、過去のことが将来の決め手となり、そのあいだの現在という時がなくて、過去と未来を継続させることになる。

カルマの法則という言葉がありますが、今しかないとはっきりとわかれば、過去が未来に影響を与えるということもなくなるのです。今を生きれば、カルマという観念もなくなります。

自我は過去から解放されることに耐えられないので、過去は文字どおり過ぎ去ったとはいえ、それがあたかも現在のことであるがごとくに対応し、心に浮かぶ過去の思いを保とうとする。

今を生きるより、過去を何度も何度も思い出しながら生きている。私自身、いつもそうしている自分に気づきます。過去の経験というフィルターを通して、現在を見ている。それが自我、思考のしていることです。

それにあなたが現在、出会う人たちにたいしては過去のことを判断の基準にして、どう反応するかを指図するので、その人たちの今ある真実のすがたを不明瞭にしてしまう。

過去の痛みは錯覚だということを学ばないかぎり、あなたは錯覚である未来を選んでいるので、解放される機会は現在いくらでも見い出せるのにそれを失っているのである。

今、目の前にいるその人と出会わないで、過去にその人が言ったこと、したことなどを通して、その人と会っている。それが私たちが毎日していることです。今初めて出会ったような目でみれば、まるで違う体験ができるのかもしれないのです。過去の痛みは錯覚である。それをはっきりとわかりたい、そう思う一方で、その痛みが自分であると思い込んでいる自分もいるのが私にはわかります。

過去や未来を除いた「今」こそ真実のすがたであるとするうちに、永遠というものの真価を認め始めることになる。

もしあなたが時間の世界において、自分の役目は癒しであるということを受け入れるなら、ただ癒しが起こり得る時間の側面だけを強調するようになる。

過去にもどって癒すことなどできない。

未来を手放すには、今ここで癒されなければならない。

So be it.