13章2罪なき神の子

The Guiltless Son of God

あなたに気づかれぬように、あなたの隠れた礎石の最も暗い所に、自分は罪であるという信念が保持されている。

真理の穏やかな光のなかで、あなたは自ら神の子をはりつけにしたものと信じているということを認めようではないか。こんな「恐ろしい」秘密をあなたが認めていないというのは、いまだにその神の子を見つけさえすれば、はりつけにしたいと願っているからだ。

自我が神の子の本当に罪のないすがたに直面したとき、神の子を殺そうと企てたのは確かであり、罪なきすがたなど神にたいする冒涜だということをその理由としてあげた。自我にとっては、自我こそが神であり、罪なきすがたとは殺すことさえ十分に正当化する決定的な罪だと解釈されるべきこととする。

自我にとって、無垢な自分というものほど、恐ろしいものはないと奇跡のコースでは話しています。それは、自分が神の一部であることを思い出すことになるからです。そして、もし、自分の中に神の子を見つけたら、それをはりつけにしたいとさえ、望んでいるのです。

あなたは自ら神の子をはりつけにしたものと信じている、それが私たちの罪の意識の根本にあるものです。最も美しく、最も愛に満ちた者に対して惨い仕打ちをしてきたのは自分であると信じているのです。ですから、罰せられるに値すると。

私は、以前は自分に罪があるなどと考えたこともありませんでした。しかし、自分がしていることのほとんどは、自分を不幸にしたり、苦しめることであると気づいたのです。自分で自分を有罪だと考えているから、世界をそんなふうに作り出しているのです。

そして、それだけでなく、完全な調和や美しいもの、無垢なものを壊してしまいたいという衝動さえ自分の中にあることも気づきました。しかし、これも光のなかでそれをみれば、消えていくのだと奇跡のコースでは諭しています。

Little child, this is not so.
幼き者よ、あなたの信じていることなど、その通りだとはいえないのである。
あなたの「気をとがめる秘密」は取るに足らないことであり、それをただ光へともたらしさえすれば、光によって払いのけられる。

天国では、あなたが戻ってくるというので大きな喜びで満たされるし、その喜びはあなたのものにもなるであろう。
罪をあがなわれた人の子はすなわち罪なき神の子なのだから、その神の子を認めることこそあなた自身あがなわれるということである。

So be it.