第13章罪なき世界 序論

The Guiltless World
Introduction

罪責感を抱いていないものは、攻撃はできないはずである、非難することが攻撃の根源となるのであるから。
それはある心が別の心にたいして、愛に値せず罰せられて当然だと裁きを下す(判断する)ということ。まさにここに分裂が見いだされる。

私たちはもの心ついたときから、人と自分を区別しています。これがすでに分離の始まり。そして、人を非難したり、批判して、自分が正しいと常に主張しています。そして、

裁く心はそれ自体、裁かれる心とは別々だと知覚しており、他のを罰することで、自らは罰せられずにすむと信じている。否認するのをやめようとするのではなく、そうし続けようとしているのだ。

私の日常を振り返っても、意見を言っているつもりが、判断して、相手を否定しようとしているだけということがあります。それは自分ではよいことをしているつもりですが、実は、分離を助長しているのにすぎないのです。

神の子が心に罪責感を受け入れてしまったのが分離の始まりであって、同様に贖罪を受け入れさえすればその分離は終る。

分離の根底にあるのは、罪責感(guilt)、つまり、自分が悪い、自分は有罪である、自分はあやまちを犯したという思いです。それは、神の国(ONENESS)を離れたときからずっと、すべての人が抱き続けている思いなのです。

贖罪を受け入れるとは、自分が悪いという想念は間違いであるということを受け入れ、無罪であることを認めることです。そうすれば、自分も人も責めること、裁くこと、否認することをしなくなり、分離から癒される(解放される)のです。

続けて、この世界がどのようにむごいものかを話しています。
苦痛を通して誕生し、苦しみとともに成長し、悲しみや苦しみを学び、心は脳の中に閉じ込められていて、身体は衰えていく、子供たちは愛されているとはいえ、見捨てられることも、見捨てることもあり、自分の愛するものを失うという非常識な思いをもつ。最期にはみずみずしさを失い、息が切れて、埋葬される。

愛だけを求めているはずなのに、人生で起きてくることは残酷なことばかりだと、誰でも一度は思う。これが私たちの生きている世界。しかし、これは実在の世界ではないのです。

贖罪が神の子は絶対に罪を犯していないので、救いの必要もないと教えてくれるのだから、これこそ神の子が最終的に学ぶべき教訓である。

So be it.