12章4求めることと見いだすこと

Seeking and Finding

自我は、とても積極的に愛を追求するよう励ましはするが、それを見出すことはないという但し書を一つ付けている。

自我の指図は次のように簡単に要約できる‐「求めよ、されど見いだせまい」、と。・・・求めても見 いだせないのでは決して喜べはしない。

聖霊の約束はいつも、「求めよ、そうすれば必ず見いだす」というものであり、聖霊の導きのもとであなたが挫折することは有り得ない。

あなたが旅路に乗り出すことになるのは確かである、この世界では自分の国 (home) にいるような気がしないのだから。

ここではないどこかに自分がいるべきところがある、そう気づかせてくれるのが聖霊であり、その導き手です。聖霊はそれが使命 mission であり、そしてその使命はまた、私たちのものでもあるのです。

自分の兄弟たちを自国へと導くことによって、あなたはただ聖霊のあとについて行くことになるのである。

贖罪はあなたが完全なすがたになるための代償ではないが、自分の完全さを自覚するための代償であることは確かだ。

意志をはたらかせることこそ神の国への「代償」といえる。

あなたの継承したものは、あなたが自ら贖われていると再認識するだけで自分のものになるようにと用意されている。

私たちが誤解しているこの世界を曇りのない目でみることが再びできるようになること、それが贖罪です。第1章3でも語られていましたね。

私たちの実在が何であるかを体験すれば、神からすべてを与えられた完全な存在であると再認識します(というか意識そのものですけれどね)。

聖霊が永遠の生命へと導いてはくれるが、あなたは自分で死に投資することを放棄しなければならない、さもないと生命が自分を四方から取り囲んでいるにもかかわらず、あなたにはそれがわからないであろう。

私たちが求めるのは死ではなく、永遠の魂である自分を思い出すこと。

So be it.