12章3について

奇跡のコースでいう「貧しさ」とは、真理を追究することを忘れていることだと思います。

私たちが作り出しているこの幻想の世界で、私たちは様々なものを追い求めます。お金があれば豊かで幸せになれる、恋人がいれば、結婚すれば、子供がいれば、家があれば、田舎に住めば、都会に行けば、いい仕事があれば、健康になれれば、休暇があれば、冒険ができれば・・・。すべては豊かになり、自分が幸せになるため、救われるために求めるものです。

しかし、それらがすべて手に入ったとしても、人はまだ貧しいままです。まだ何かが足りないと思います。なぜなら、本当に欲しいものは、外側ではなく、自分の内側にあるからです。

私ごとですが、今、引っ越しをしようとしています。この先どんな生活が待っているのかわからないので、持っている家具を譲るという作業をしています。

私はいい家具が大好きで、長い間大切にして使ってきました。それらを手放す今は、大きな転換期にあることをひしひしと感じます。仕事をやめてからずいぶん物を整理し、手放してきましたが、これが最期の段階になりそうです。

夕べも家具は私にとって何だったのだろうかと考えました。それは、自分の価値を表すものであり、安心感を与えてくれるものでした。しかし、それがなくても私の価値が変わるわけでもありませんし、安心がなくなるはずもありません。心の中にある価値感や安心感を家具に投影していただけなのですから。

カミーノはリュックひとつで歩いて来ました。その私と、いい家具に囲まれて暮らしている私にどんな違いがあるというのでしょう。同じ意識、同じ人です。

誰かがあなたに何かを要求したら、あなたはそれを差し出しなさいとキリストはいいます。この言葉はある意味、テストです。私の教えていることを本当に理解していますか? ということです。

外側のものにはあなたを救うものはないのです。それを理解していたら、差し出すことは苦痛ではありません。
本当に大切なものはただひとつ愛だけです。

このことを完全に理解することができたら、あなたの世界で、何かを差し出せと、誰かから理不尽な要求をされるようなことは起きてこないでしょう。なぜなら、物の中に救いはないと知っているからです。私は12章3をこんなふうに理解しています。

世界はただそれを作った人の心の中にあるし、それと同時にその人の本当の救いもそこにある。

So be it.