11章4神の子の継承したもの

The Inheritance of God's Son

神の子としての身分があなたの救いであるということを決して忘れないように、その身分こそあなたの真の自己であるから。

真の自分は神 ONENESS であり、ONENESS の一部であること。それが私たちの実在であり、そのことこそが、救いであると教えています。

私は何か、という問いかけに自我は答えられません。私たちの実在にはそれははっきりとわかっています。それは、全体であり、ひとつであり、宇宙です。ですから、その身分(実在)こそが、私たちの救いです。私たちを幸せにしない自我は、錯覚の世界にしかいないのですから。

だが、もしあなたが自分の真の自己の一部を憎んだりするなら、自分の理解力をすべて失うことになる、神があなた自身として創造なさったものを、愛を持たずに見ていることになるのであるから。

その兄弟を連れ戻すことで、自分も戻ることになる。それが神の子の完全なすがたを護るための神の法則。

真の自己の一部というのは、兄弟であり、仲間であり、人々です。人を憎むことは、自分を理解することから遠ざかることになる、愛を通して人をみるようにと教えています。連れ戻すとは、その人の中に実在の光を見るということです。かすかな光でもみることができれば、自分自身が戻って行けるのです。それが、この世界がある意味なんですね。

ところで、人はどんなときに、憎むのでしょうか。
自分が否定されたと感じるとき? 何かを奪われたと思うとき?

自分自身から何かを奪えるのは自分だけである。

あなたの兄弟たちはあなたの一部だとするなら、自分が何かを奪われている責任は兄弟にあるとして責めるのは、自分自身を責めることになる。

だから責めるということをやめなければならない、どこか他にその責任があると見ようとなどせずに。

自分自身を責めれば自分のことが分からなくなる、少しでも責めたりするのは自我だけであるから。

人生で起きてくることのすべては、自分が作り出している、だから人生は自分にすべての責任がある。それに気づいてくると、人を責めることはなくなります。

しかし、そこで気をつけなさい、自分自身を心の中で責めていませんか? それをよくみなさいと。

これは再び目覚めるために、重要な一歩である。それは、「誰も責めてはいけない」というその「誰も」の中にはあなた自身も含まれているのです。人も自分も責めてはいけない、責めること自体を手放しなさいと言われています。

「あなたが悪いのではない、私が悪かった」という時、責任をとっているような気がしますが、実は自分も人も責めていることになるんですね。責めるということ自体を全部ないものにしなさい、ということです。

Christ waits for your acceptance of him as yourself,
and of his wholeness as yours.
キリストは、あなたがキリストを自分自身として受け入れ、
キリストの完全さを自分のものとして受け入れるのを待っている。

自分を含むすべての人が、完全であり、光であり、愛である、それを受け入れなさいということです。

So be it.