11章3闇から光へ

From Darkness to Light

私たちの実在においては、病気になることはおろか、疲れることも苦しむこともありません。神の国、ONENESSの世界では、攻撃を受けることもなく、自分で自分を傷つけることも、葛藤もないからです。

ですから、この世界においても、自分が病気であると認識したり、疲れたり、苦しんでいるときは、実在から遠ざかっている、背を向けているのです。自分で自分を傷つけていないかよく見る必要があります。

神の国は自分のものであるというのに、自国を失いでもしたようにさまよっている。神と共にわが家にいるのに、孤独であるうえ、兄弟みんなに囲まれていながら親しみを持てる相手がいない。

恐れと悲しみは自分で招いたことであり、その道を歩む間はそんな思いを抱きつづけ、それに甘んずることになる。しかし闇路は神の子の道ではない。

自分でさまようときには、ただ本当ではない旅路に足を向けているだけのこと。暗闇にいる連中や、闇に包まれた道などすべて錯覚である。光の方に振り向くがいい、あなたのなかにある小さな火花はとても大きな光の一部なので、永遠にすべての暗闇を一掃してくれる。

何が自分に属するのか分かろうとするなら、あなたの心は神のと同じように純粋でなければならない。

ここでは純粋(pure)という言い方をされていますが、これまでも罪がない、悪意がないというような言葉が出て来ました。私たちは神の一部なので、日常での行為も思いも神にふさわしいものを求められています。そうでなければ、道に迷ってしまいます。

もしあなたが神の子を時間のうちにて祝福するつもりなら、あなたは永遠のうちにあるものとなる。

この世界で人々を、自分と同じように神の子であると平等に考え、相手の中に光を見ることができれば、時間に縛られているこの世界にいても、私たちは永遠の存在としてここにいるということです。

もし時間を永遠なるもののために使うなら、時間があなたを神から引き離すことなど有り得ないのである。

So be it.