11章2癒しへの招待

The Invitation to Healing

病気とは分離していることであるとするなら、癒し癒されると決心することこそ、何を自分が本当に望むのかを気づくための第一歩である。攻撃するたびに望みのものから一歩ずつ後ずさりし、癒しの思いをもつたびに近づくことになる。しかしあなたが、どの部分にせよ神とその王国を攻撃するなら、完全には理解していないということになり、したがってあなたが本当に望むものはもはや自分のものではなくなる。

ここでいいう神とその王国とは、自分を含むすべての人々とこの世界のことです。そのどの部分にせよ、攻撃するなら、自分は癒しをあきらめている、真理から遠ざかって行くことになるのです。厳しい言葉ですが、私たちの態度に矛盾がなく、一貫していることが求められているのだと思います。

自分が攻撃したり、誰かを傷つけてしまったり、あるいは傷つけられたと感じるとき、それは自分の実在を否認していることになるのです。誰かだけを愛して、他の人は攻撃するということもできないのです。

全面的に癒そうとし、愛すること。難しいですね。ときには愛する人からでさえ、傷つけられたと感じることはありますから。そこまで完全にできるのだろうか、と自信がなくなるときもあります。でも、大丈夫です。

聖霊はあなたに、自分で引き受けようとする癒しをはるかに越えて癒すことができるようにしてくれる、というのも、あなたには完全になろうとする気が少しあるので、それに聖霊は自らの完全な意志を添えて、あなたの意志を完全なものにしてくれるからである。

私たちは弱い存在です。自分の実在が完全だとしても。でも聖霊が私たちをサポートするために、いつでも側にいてくれます。私たちは、自分が目覚めたいこと、自分も人も癒したいこと、弱い自分、不完全な自分を助けてもらいたいこと、そういうことを聖霊に頼めばいいのです。頼りにすればいいのです。道をひとりで歩いているのではないのですから。

神があなたに遣わされた賓客(聖霊)が、それをどのようにすればいいか教えてくれるだろう、ただあなたが小さな火花に気づき、それを大きなともし火にさせる気が有りさえすれば。

So be it.