10章5神を否認すること その1

The Denial of God

病気でいるためには、喜びは絶対にゆるされない、憂うつな気分でいることを求められる。

憂うつな気持ちになるのは、あなたが神を否認すると誓ったことを意味する。

神を否定するとは自分自身の真の身元を否定することだとは悟っていないし、この意味において、確かに罪の報いは死だといえる。

私たちの真の身元=実在は永遠の存在なので、死はありません。死は自分を身体であると認識しているからあるのです。

神を否定すると、その結果として必然的に投影することになり、あなたは自分自身ではなくて他の者が自分に対してそうした、と信じるようになるということを忘れないように。

私たちの実在が 神、ONENESS であるということを忘れて、個々に存在していると考えると、人生で起きてくることを自分のせいではなく、人が自分にそうしたと信じるようになる。

たとえば、日常的に口論をしたり、あるいは心の中で葛藤するときも、最初に相手が仕掛けて来たと思うことがあります。しかし、それはすべて自分が相手に投影した思いから起きてくることです。病気もまた、何かが自分に対して攻撃してきたと思うことから始まるのです。その土台にある思考は、 神、ONENESS の否定です。

あなたは兄弟たちが自分に伝えてくれることで、その兄弟たちを判断すると信じているかも知れないが、あなたは自分で伝える伝言で兄弟を判断している。

人は、相手の本質を見ているのではなく、今起きていることの真実をみるのではなく、自分が考えたいように考えているということです。

「神を攻撃した」ことが、神の子に自分には父親がいないと思わせ、その憂うつさから自分で憂うつの神を作ってしまった。

こんなものを喜びに取って変えたというのも、神の子は創造主であったとはいえ、そのまえにまず自分が創造されたという事実を受け入れようとしないからだ。

自分がひとりでこの世にいると思えば、ここは恐ろしいところです。明日、何が起きてくるのかもわからないままに、なんの力もなく生きているような気がします。しかし、真実はそうではないのです。私たちは自分で自分を作ったのではなく、創造された存在です。私たちを護ってくれる存在があるのです。私たちはひとりで生きているのではないのです。たくさんの兄弟と一緒に存在しています。それも分たれることなく。それを受け入れれば、平安の中で考えることができます。

憂うつさは孤立することから生じる、したがってそれは創造されたはずなどないのである。

神の子よ、あなたは罪を犯してはいない、ただかなり思い違いをしてきただけである。

So be it.