7章7神の国の全一性 その1
The Totality of the Kingdom その1
あなたはひとりの兄弟を祝福するのを拒む度に、喪失感を覚える、
拒否するというのは愛するのと同様に、全面的にすることだから。
神の子たちを部分的に拒むことは不可能なことであるし、同じく部分的に愛することなど不可能である。ときどき、完全に愛することも不可能である。時折、全面的に本気でかかわり合うということもできない。
私たちは、ある人は好き、ある人は嫌いと分けることはできないと言われています。すべての人々を完全に愛するか、そうでないか。それだけです。それを選り分けることは、分離であり、それは、自分たちが実在しないということを言っているのと同じなのです。実在の世界では、何度もいいますが、ONENESS だからです。この世的には、好きな人、嫌いな人がいて当たり前、愛した人も時には嫌いになるのも当たり前。でも、それは自我の選択であり、実在の自分はそんなことはしていないのです。いつも、すべてを完全に愛しているのです。
分離を癒すためには、相手に対して祝福を与えることだけです。自分が祝福されたいと思ったら、相手に与える。それが神の法則と前にも習いましたね。
ある人の姿は自分がなりたくない姿である、などと誰にも教えないでおくがいい。自分の兄弟は鏡であり、そのなかに知覚するということが続くかぎりは、自分自身が創造した姿をみることになる。そうして知覚するということは、神の子が自らを完全だと分かるまで続くだろう。
厳しいですね。「ああいう人にはなりたくない」そんな気持ちを抱くことはよくあります。それは自分自身をそこに見ているわけで、自分を完全だとわかるまでは続くということを言われています。それは一見なんでもないことのように思えますが、自分というものをまったくわかっていない、ということを強めていることになります。
生きている神の子たちには、ただ尊敬の念を表し、よろこんで自分自身もその御子たちの一人であるとみなすことである。
So be it.