7章5癒しと心の不変性

Healing and the Changelessness of Mind

癒すことは誰もがみな発揮できる能力であり、
自分が癒されたいなら、発揮しなければいけない能力である。

癒しとは治療者自身のうちに、他のだれもが自分と分かち合っていないものを、何ひとつ知覚しないということだ。

自分の心について自分の心を変えることを学ばなれればならなくなる。
ただこうすることで、心は確かに変わらないことをあなたは学ぶことができる。

ACIMを学ぶとき、自我を通して自分の心を見ているので、心を変えたように思うかもしれないが、実は私たちの心は一度も変わったことなどないと気づくことになる。私たちは永遠の存在であり、心は常に一貫している。

ここでいいう治療者(healer)というのは、身体の病気を治すことに限定されているわけではありません。キリストは、私たちがこの物質世界いると考えていること自体が病気であるといっているので、その考えを訂正することも癒すことになるのです。ですから、それを教えるACIMの教師は、治療者(healer)です。そして、悟りへの道をいく人すべてが治療者(healer)です。

兄弟は・・・自分の真の自己が何であるか分かっていない。もしあなたが、兄弟のうちに変わらないものを見るなら、その人を実際に変えたことにはならない。あなたが、兄弟のために、その人についてのあなたの心を変えることにより、その人の自我が引き起こしたいと思っている変化を取り消すのを助けることになる。

ちょっとややこしい文章なので、あえて入れておきます。
相手の中の本当の部分、真我を見るだけではその人を変えることはできない。つまり、癒せないということですね。相手を癒すためには、自分の心を変えること。その人に対しての自分の心を変えれば、相手が自我に操作されることから引き離せるということです。

たとえば、相手が何かに腹を立てて、あなたに怒ったとします。その時、その怒りに反応する自分の心を変える(=穏やかに対応する等)ことで、相手が怒る(=エゴの操作)から回避できるということだと思います。

あなたの心はひじょうに強い光であるから、私(J)があなたの心を教え導くことができるように、あなたは兄弟たちの中にも光を見て、彼らを啓発できる。

私は、つい最近まで、悟りに興味のない人までいちいち啓蒙する必要があるだろうか、と考えていました。しかし、すべてが ONENESS なら、自分と他者の区別はないと気づきました。まずは、自分が輝くこと、喜びに満ちて生きること、平安の中にあること、そうすれば、説得力をもって話せるでしょう。

我々がその兄弟たちを正しく見るにしたがって、その人たちは癒されるだろう。あなたの心を私(J)のと一緒に兄弟たちの心に輝かせ、彼らに対する我々の感謝の念で、その人たちの中にある光に気づかせることだ。

So be it.