7章3神の国の真実

The Reality of the Kingdom

自我は自らを交戦中だと見でおり、そのために味方が必要な立場にいる。

交戦中とは具体的にはどういうことでしょうか?
日常を思い出してください。誰かが自分の気に入らないことを言った、あるいは、した。言うことを聞いてくれない。ないがしろにされた。正しく行われていない。不愉快だ。などなど・・・これらは、自我が交戦中なので、外側に起きてくることをそういうふうに受け取るんですね。

戦っていない者は、兄弟たちを捜し、出会う人たちすべてを兄弟として認めなければならない、同等である者たちの心だけが安らかなのだから。神の同等な子たちはあらゆるものを持っているので、競うはずがない。

真のところで、相手と自分を平等だと認めていないので、どちらが上とか下とか、敵とか味方、正しい、正しくない、そういう争いや葛藤が心の中に生まれてくるのです。これは私たちが間違った認識をもっているからです。その間違った認識を見くびらない方がよいとキリストは言われています。

それは、あなたが自分自身を非実在的なものだと認識したのとどう違うのだろうか。

すべての人は自分と同等の存在である、これが実在の世界の真理です。それを認めないとしたら、自分自身が実在するということを認めていないという意味になるのです。

神の国にいるとは、単に自分の注意を完全にそこに集中させることにすぎない。

さまざまな思い違いをして、その誤った思考体系をもっている私たちが、いくつかの神の国の基本原理を受け入れ、自分の思考を訂正をする。そして、そこからこの世界を見て生きれば、ここにいながらにして、神の国にいることになるのです。難しいように思えますが、ひとつひとつ理解し、訂正すれば、いつか必ず実現すると思います。そのひとつが、全ての人は平等である、という原理です。

聖霊の唯一の役目は疑わしいことを取り消し、そうすることで確信をもたせること。確信のある者はまったく落ち着いている、迷いがないからだ。質問を持ち出すこともない、疑わしいことは何ひつと心に入り込まないのだから。それで、その人たちは全く平静でいられる、自分が何なのか、それが分かっているので、そうしたことを自ら分かち合うのであるから。

So be it.