7章神の国の贈り物1最後の歩み

THE GIFTS OF THE KINGDOM
The Last Step

ここでは、最初に神の創造とは、ひたすらに愛の拡張に他ならないもので、その力を自分のものとして受け入れることで、自分が何なのか思い出すことができるようになると語られています。

一方で、自我は、愛するよりも、お互いに特別の便宜や恩恵をはかり合う権利を要求する、つまり取引、駆け引き、競り合いをしているのです。そこには愛はありません。

創造するとは愛すること。愛はとうてい抑えきれないので、外に向かって拡張する。

私(J)が神の国 ONENESS にただ愛を与えたのは、それが私(J)だと信じたからである。あなたが自分をなんであると信じるのか、それがあなたの贈り物を決めることになる。もし神が自らを拡張して、あなたを創造されたなら、あなたも自分自身を神がなさったように拡張できるだけである。ただ、喜びだけがいつまでも増していく、喜びと永遠は分つことができないのであるから。

自分を何であると思うのか。それは自分が何を考えているのか、何を思っているのか、何を外に表現しているのかということと同じです。

今、世の中は慈愛に溢れています。それは見返りを期待しない愛です。たくさんの人が、会ったこともない人々、今後も会うこともないかもしれない人々を支援しています。それは、自分が愛を表現していることであり、自分が愛であると言っていることと同じです。

贈り物とは、ONENESS の世界に戻ったときに、そこに自分がいることでその世界に与えられるもの、ということです。キリストは、自分は愛なので愛を贈り物として捧げたと言っています。私たちもまた、自分自身が愛であると気づけば、愛と喜びを ONENESS の世界に戻すことができるのです。

神が歩みを取られることはない、神が成し遂げられることは徐々になされることではないのだから。教えるということもなさらない、神が創造なさるものは不変であるから。何ひとつ最後になさることはない、最初にしてそれがいつまでも続くように創造されたのだから。

神が取られる「最後の歩み」は、したがって初めに真実であったし、
今も真実であり、永遠に真実となる。


So be it.

(J)=イエス・キリスト