6章3攻撃の放棄
The Relinquishment of Attack
想念はどれもみな考える人の心の中で始まる。
・・・何を拡張するかで、その心は自らを知る。
心の中で思うこと、考えることでこの世は作られています。
それはとても単純なことです。
たとえば、どんな料理をつくろうかなとか、どんな家を建てようかなとか、事の大小に関わらず、この世はすべて心の中で先にアイデアがあって、それが外に作り出されて(拡張されて)いるのです。
それは、物質的なことだけでなく、人間関係や自分自身についても同じです。
しかし、私たちは、本来の自分とはべつに、自我というフィルターをもっています。このフィルターは真実をゆがめてしまう働きをします。
あなたは自分自身に、あなたの本当の姿を自分ではないと信じるように教えてしまった。
そのために、私たちは、怖れや批判、自己卑下、攻撃といったことを心の中に思い描くようになり、実際に外の世界にそれを見ている(拡張している)のです。
キリストのはりつけが教えようとしたのは「愛だけを教えること、あなたは愛そのものであるから」という教えだった。・・・それを教えることによってのみ、それを学ぶことができる。
「自分で教えるように自分も学ぶ」ことになる。
唯一の安全策は聖霊を拡張するうちに見いだされる・・・。
つまり、本来の自分の姿を認め、他の人の中にもそれを見るようにすること。言い換えると、それはあるがままの自分を受け入れ、他者の中にも同じようにあるがままの姿をみること。その本質は、優しさや悪意のなさ、愛であるので、それを認めれば、もう自分を護ったりすることもなく、安全であるとわかる。祝福されている知っているので、自分も祝福する。
安全であるためには完全に攻撃を放棄することだ。
平安を得る唯一の方法は、平安を教えることである。
ただ愛だけを教え、学んで欲しい、
愛は自分のものであり自分こそ愛である、と。
So be it. So be it. So be it.