5章4教えと癒し その2

Teaching and Healing その2

贖罪を受け入れ、私たちは元へ戻る道を歩き始めます。そのとき、

聖霊に従うことによって、あなたは本来いるべき神のもとへと導かれるのだが、自分の兄弟を一緒に連れて行かずに、どのようにしてその道を見つけ出すつもりでいるのだろうか。

つまり、キリストは教えることによって自分自身も学び、神の国へ戻るように兄弟を援助しないさいと諭しています。

私は社会のいわゆるキリスト教には縁のない人間ですが、おそらくイエス・キリストが生きておられたときから、このことは語られていたのでしょう。自分ひとりで行くなと、必ず兄弟も連れていきなさいと。そうして、世界中にキリスト教を布教するパワーが生まれたのだと思います。もちろん、歴史的には権力や政治、経済も背景にありましたが。

当たり前のことですが、私は、ACIMの教えを誰にでも押しつけることはしません。話しても興味のない人にとっては、退屈なだけです。私は今はACIMを読むことが一番心が安らぐので、友人と話していても、すぐに教えの話になってしまいます。でも、すべてにタイミングというものがありますし、縁もあります。ですから、ほんの少しでも興味を示した人には話そうと心がけています。(というか、自然に話してしまいます。)一方で、まるでスピリチュアルなこと、気づきに興味がない人には、むやみに話しません。いつかは話せる日が来るかもしれませんが、それぞれに旅の行程は違うのですから。

私(キリスト)は決してあなたを置き去りにしたり、見捨てたりしないつもりだ、あなたを見捨てたりすれば、それは、私自身と私を創造してくださった神とを見捨てるようなものである。

以下は私がここで一番好きなパートです。

本当に神聖なあなたが苦しむことなどあり得るだろうか。過去の出来事はその美しい点をのぞいて、すべて過ぎ去ったのであり、残っているのは祝福だけである。私はあなたが誰かに親切にしてあげた時のことをみな取っておいたし、あなたの抱いた愛のこもった思いはひとつ残らず取っておいた。・・・私は自分自身を愛するように、あなたを愛したので、あなたは確かに平安のうちに旅立てる。・・・

So be it.