5章3救いへの案内役

The Guide to Salvation

聖霊は癒すための想念(the idea)。心の中で思いついたことなので、そうした想念は分かち合うにつれて増していく。神への呼びかけなので、それは神の想念でもある。あなたは神の一部なのだから、その想念はまた自分自身の想念であり、同様に神が創造なさったものすべての想念ともいえる。
聖霊の声はあなたの中では弱々しい。・・・それを強くする必要がある。

これまでの5章のなかで、聖霊は私たちが分離した瞬間にそれを癒すために存在し始めたと語られています。それは、神の想念であり、同時に私たちの想念であるもとここでは言われています。想念という言葉は馴染みが薄いのでわかりにくいのですが、アイデアということなんですね。
分離してしまったとき、瞬間に「そうだ、神と私たちをつなぐ存在がいてくれたら、きっと戻れる」そう考えて、そのアイデアで生まれたのが聖霊というわけです。

でも、その声は私たちの中では小さくしか聞こえない。そして、聖霊を自分の中だけにあるものとして捜していると間違うよ、とキリストは諭しています。つまり、エゴが出てきて、「私の内には聖霊がいる、人とは違う」というゲームを始めるわけです。そうして、自我を案内役として行くと、自我の見方で見るようになり、自分の考えに恐怖を覚えるようになるとキリストは言います。

兄弟の心の中にある聖霊を通じて、その兄弟を見るようにすれば、自分の心の中にある聖霊を認められるようになる。・・・分かち合うものを強めることになる

自我は分離の象徴であり、同様に聖霊は平安の象徴である。

聖霊はいつも神との霊的交わりのうちにあり、あなたの重要な部分でもある。あなたを救いへと導く案内役、過ぎ去ったことや先のことを記憶にとどめており、そうしたことを現在に思い出させてくれるのだから。

ここでいう過ぎ去ったことや先のこと、というのは過去世と来世の記憶ということだと思います。そこで自分が学んだことを思い出させて、導いてくれるということだと。現世、来世と私たちは時間軸で考えますが、実は時間は幻想なので、私たちの転生の経験は一度に知ることができます。それを聖霊が助けてくれるわけですね。

私の知っている人で、自分の過去世であるお坊さんが内側から話しかけてきて、導いてくれるという方がいます。相談相手のような感じで話している風でした。こういう存在、声を聖霊というのかな、と私は考えています。もちろん、個々に聖霊の在り方は違うとは思いますが。