5章1聖霊への招待

The Invitaion to the Holy Spirit

癒しは、二つの心が自分たちは一つであると気づいてうれしく思うこと。
何かすごくいい感じの言葉ですよね。これは前(9日)からの続きで語られているもので、兄弟の心と自分の心はひとつなんだと気づいて、うれしく思うということです。それは、究極的にはみんな愛なんだということですね。愛がすべて。どんな悲しみや苦しみにみえることも、よくよくわかろうとすれば、そこにあるのは愛だということ。それに気づくことが癒しだと思います。

癒された心だけが永続的な影響をともなう啓示を経験できる、啓示は純粋な喜びを経験することなのだから。

私(イエス・キリスト)はあなたのために聖霊を連れてこられるが、これはあなた自身の招待があればということ。聖霊は私の正しい心の中にあったように、あなたの正しい心の中にある。

聖霊は分離がおきたときに、保護者として存在するようになった、それと同時にあなたに贖罪の原理を吹き込もうとしている。・・・聖霊の声は贖罪、または心を完全に回復するようにという呼びかけである。

抜粋ばかりですみません。ここでは聖霊がなんであるのか、私たちをどう導いてくれるのかということをイエス・キリストは話されています。以下、ちょっとだけ意訳です。

聖霊は私たちが神の国、ONENESSであることから分離したときに存在し始めました。それは、私たちに元の状態に戻るようにという呼びかけをするためです。聖霊はみなんが分かち合う霊感であり、神の国そのものに実在する本質に似た要素を、ある種の知覚を通してわかるようにと仕向けてくれています。

第一に、聖霊から教えられたそうした知覚は、完全に普遍的で明確で、それを分かち合うことは自分にとって得になるだけであると、一瞬の迷いもなく信じることができます。

第二に、その知覚は攻撃することはできないし、開放的です。そして知識が流れてくるのを妨げることはありません。

最後に、聖霊がもたらしたその知覚は、それによってもたらされた癒しの道の先を示し、心がそれ自身統合されるに留まらず、創造へと向かうように導くことになります。この時点で、十分な量の変化が起きて、実質的なシフト(移行)が起きてきます。(つまり、知識と創造の世界、実在への移行)

ここで出てくる「ある種の知覚」とは英語では a kind of perception とあります。それが、具体的にどのようなものであるのかは、おそらく個々に違うと思います。知覚、あるいは認識、経験と訳してもいいかもしれません。たとえば、インスピレーションのように理解がやってくるとか、内側で声が聞こえるとか、ビジョンであるとか・・・。とにかく何かを通して、霊感を受け取ることだと思います。

そうして、癒され、自分の分離した心が統合され、変化を起こし、創造の世界へと移行していくという段階を踏むということですね。難しい言葉で語られていますが、実際に起きてくることは難解なことではないと思います。

まずは、私たちに心にある悲しみや苦しみ、痛み、悩み、あるいは罪の意識、無価値観そういうものに気づき、それらをひとつひとつ癒していく。それをしていくと次第に心には光が満ちてきて、啓示を受け取れるようになる。

聖霊の声がなにかしらの形(ある種の知覚)で受け取れるようになれば、その導きで先に進んで行けると語られていると思います。