4章6神からの褒美

The Rewards of Good

自我とは、ただあなたが自分自身で信じているいることの一部に他ならない。

私たちの本来の存在はスピリットであり、この物質世界にある肉体も自己という意識もすべて自分の想像の中にあるものです。実在の世界では、私たちは今もスピリットとして存在し、それは自己からは何の影響も受けることなく、この瞬間もONENESSの世界で創造し続けています。

この物質世界において、私たちの意識は自我を中心におき、支配させています。私たちがそれが自分であると認める限り、自我は私たちに指示をします。しかし、自分自身が本来なんであるのかを思い出すとき、自我は消滅します。

ACIMを学習して、少しずつ神やキリストの存在を信頼し始める(つまり、それは新しい選択肢を学び、それを選ぶということですが)と、起きてくるものごとや、人との関わり方が変化していきます。

たとえば、今日、私の家族のひとりが怒りの感情で言葉を発していました。こういう表現はおかしいかもしれません。私に対して何か怒りの言葉を投げつけた、といってもいいのかもしれません。しかし、私には、それはただ空中にその人の言葉が飛んで拡散し、何も残らないような気がしたのです。その言葉に影響を受けることもなく、次に瞬間には別の人と別の話をしていました。そして、その出来事はなかったことになったのです。

あることを選んだ結果それが平安と喜びをもたらすが、別のことを選んだら大混乱とひどい苦痛をもたらすことを経験から学んだ者には、付け加えて説得する必要はない。いわば何かの褒美をもらいながら学ぶ方が苦痛を通して学ぶよりも効果的だ。

あなたの使命はじつに簡単なものである。あなたは自分が自我ではないと実証する生き方をするようにと頼まれているのである。

ACIMの学習は抽象的な世界に終始しているのではありません。実際の生活に大きな変化をもたらします。それは神からの大きなギフトだと思います。

愛はすべてのものを克服することはない、しかしすべてのものごとをあるべき姿にするのは確かだ。

救いとはいわば協力しあって成し遂げるべき冒険ともいえる。

まずきょうだいたちから学べば、あなたは神に耳を傾ける心構えができることだろう。愛の役目はひとつであるから

So be it.