4章5自我と身体の錯覚

The Ego-Body Illusion

ここでは、自我がいかに巧妙に私たちを混乱状態においているのか、という話です。

神の思いは自我には受け入れられない、
それは自我そのものが存在しなくなることをはっきり指すのだから。

自我は身体に感じる「受け入れたくない」衝動だけでなく、神の思いも隠したがる。その二つを同じだと知覚することで、自我は心を奪われないようにしようと試みる。

私たちは身体で神の思いを感じている。それを自我は受け入れたくない衝動として認識させている。私たちがONENESSから分離された存在であることを絶対に知って欲しくないのだ。なぜなら、それを心が知れば、自我は消えてなくなるから。

自我は身体と一体感をもち、身体が傷つきやすいことで、私たちが永遠の存在ではないという、神に属するものではない証拠だとみせている。その上、心は身体の一部だと信じ込ませようとしている。

確かに、私たちの世界では心は脳にあると考えているふしがある。
科学的に検証している、研究していると。


自我が言うには、心は実際に身体の一部であるが、

一方で、身体は心を守ることなどできないとも言う。

心は守ってもらうためには、どこへいけばいいのかと尋ねる。

自我は「こっちを向けばいい」と答える。

そして、質問には答えないで、忘れさせようとする。


心が脳にあるなら、脳は心を守るシステムをもっているはずだ。
だが、脳には心は守れない。
心臓に心が守れるだろうか?心臓も心を守れない。
心はどこに属しているのだろうか?
心はどこにも属さず、孤立無縁の存在なのだろうか?


自我は本題からそれた問題点とかかわることで、本当の問題そのものを隠し、心に気づかせないですむようにと望んでいる。

何が目的なのか?そう問えば、自動的に努力すべきことに向かわせてくれる。そうして、努力するを決心は、あなたが心を変えないかぎり有効なものとなる。


あなたの人生の目的はなんだろうか?