4章4その必要はない

This Need Not Be

どこに目を向けて自分自身を見いだそうとするか、
それは自分しだいである。

This Need Not Be このままでいる必要はない。 (以下抜粋)
何かを間違って選んでしまったと気分でわかるとき。
喜びを感じていないとき。
してしまったこと、しなかったこと。
よく考えていみよう。

神のこころと一つになって考えてみよう。
神が栄光のうちに創造されたものを見いだすように。

悲しいとき。このままでいる必要はない。
ゆううつなとき。
それは、自分から何かを取り上げられたように感じるから。
あなたには奪われたものなど何もない。
ただ、自分でそうしようと決めた以外には。
だから、いまは、別の考え方をしようと決心すること。
あなたは、このままでいる必要はない。

不安を感じるとき。
それは自我が移り気だからだと悟りなさい。
あなたは、このままでいる必要はない。

自分が悪いという思いにさいなまれたとき、
自我が神の法則にそむいたのは確かだが、
その罪は兄であるキリストにまかせておけばいい。
罪の意識にさいなまれるのは、自我だけなのだから、
あなたがそんな思いをする必要はない。
あなたは、このままでいる必要はない。

神と神が創造なさったもの(霊)とのつながりを保とうと習慣づけるのは簡単なこと。ただ、積極的に自分の心がそれを忘れないようにすればいい。

あなたと私(キリスト)の心は一つになって、その輝きで自我を消滅できるのであり、神の力をあなたが考えることやなすことすべてに自由に放つのである。・・・自分の目標としてこれ以外のものは受け入れないと拒否すること。
この後もキリストは、私たちが正気を回復するために一生懸命諭してくださっています。
すごく矮小化した例で申し訳ないのですが、たとえば、家族に詐欺まがいの商売に夢中になっている弟や妹がいたとして、それは違うよ、正気になりなさい、真実はこうなんだよ、と熱心に説明してくれている兄のような感じです。夢中になっている人にとっては、それはとてもいい取引で、信じられると考えているのです。信じる人にとってはそれは真実なんです。でも、真理を知るキリストは、ひとつひとつをていねいに説明して、必ず、私たちが目覚めると信じ、導いてくれています。

奇跡は愛の表現であるから、自然におきると私にはよく分かっている。私があなたに呼びかけるのは、あなたがそれに答えるのとおなじく自然なことであり、またどちらも必然である。

So be it.