4章3葛藤を伴わない愛

Love Without Conflict

神の国は、ただ、あなたの中にある」(聖書)と言われているが、
それではまるで外にある何かが中にあると(人は)解釈してしまう。

神の国はまさにあなたである」
あなた以外には何も創造主は創造なさらなかった。

自我が使う言葉で「何かを持つ」と「何かである」は異なるが、聖霊にとってはその二つは同じである。だから、神の王国を持つことと、神の王国であることに区別はない。

私たちは神の国、ONENESSから分離したときに、自分で自己を作り、この物質世界を作った。自分で作った自己なので、私たちは我が子を愛するような愛情を抱いている。
しかし、それと同時に、神に離反したという思いがあるために、その気持ちを投影して、自己を憎む気持ちもある。これが、conflict。

conflictとは、不一致、衝突、対立、論争、摩擦、葛藤、あつれき、争い、紛争、闘争、戦争、戦闘、悩み。

私たちのいるこの世界で、葛藤や矛盾のない愛はないとキリストはいう。この世では、憎しみや悩む気持ちを伴なわない愛を経験することはできないというのだ。

愛は、もし心が本当に望むなら直ちにその心に入るだろう、ただし本当にそれを望まなければならない。これはつまり相反する感情をもたずに願うという意味であり、こんなふうに望むとは自我の「手に入れようとせずにはいられない気持ち」を全部なくすことである。

たとえば、執着する気持ちは、手に入れようとする気持ち。それを手放すと決めたとき、矛盾のない、愛だけがあなたの心に入ってくる。難しいように思えるが、そうではない。(難しいと思わせる自我の罠にだまされないで)ただ、執着を手放すと自分で決めればいいのである。

あるいは、こんなイメージワークを使ってもいいかもしれない。
ジャンポルスキー博士は、風船をつけてその感情を空に飛ばすということを紹介している。

私がよく使うのは、自分の家の屋根裏の窓から外に出して消滅させるというイメージ。窓から手を出して広げると、つかんでいたものが一瞬で消える。執着心を何かシンボルとしての物に変えて、持って上がり、手放す。そうすると、心に隙間ができる。そして、そこに愛だけが自動的に入ってきてくれる。あなたがそう望めば。

あなたは暗闇や隠すことを信じているから、光が入って来れないのだと、繰り返し言っておく必要がある。

ほんのわずがな恐れのかけらも入らないように自分の心を見守るがよい。

あなた自身の意思を除いては、あなたを導くのに十分だといえる強さや価値のある力は他にはない。

心から呼びかける者たちの願いは必ず叶えられる。

So be it.