4章2自我と間違った自律 その3

The Ego and False Autonomy  

神話は自我の起源と関係がある。
魔術は自我が自我のものだと考えている力と関係している。

神話体系は、・・・いわゆる「生き残るための戦い」とは、ただ自我が自我そのものを保存しようとしてあがいていること。

厳しい表現ですね。神話は人間が神と一体になるための物語ではなく、神の国を創る話でもなく、自我のためのものであるなんて。
キリストは神話体系とは「天地創造」についての物語らしきものを含むものとしていますが、現代の神話といえば、ジョージ・ルーカスの映画「スターウォーズ」や、最近では、ジェームズ・キャメロン監督映画「アバター」も神話的な象徴を含む内容だと思います。

神話の始まりで、私たちが物質であると表現することは、つまり自我のためのストーリーということ。

もし「アバター」で主人公がスピリットに変容するなら、まったく新しい神話として現代に生まれることができたはずです。それにしても、登場する惑星の名前がパンドラというのも神話を意識していますね。
(「アバター」を観ていない方にはわからないですね、すみません。)

話が逸れました。

自我から霊に向かう道について、
キリストはこんなふうにルートを説明しています。

救いとは「心が正しい状態にあること」。

心が正しい状態は、自我を捨て去る。
(なぜなら、自我は裁くことなしに生きてはいけないし、
      正しい心は裁かないから)

正しい心が支持 (adhere) する思考体系のもとに生きる。
=自動的に次の段階へ進む。

正しく知覚する。

知覚することを全て必要としないと悟る。(障害がなくなる)

霊の状態=知識。

あなたはこの世に生きているように見える限り、(霊として目覚めることが)どうして可能なのかと尋ねるかもしれない。
この世に生きている「あなた」とはいったい誰のことだろうか。

霊は不滅であり、不滅であるとは絶え間なくつづく状態をいう。
そうした状態はいま現に真実である。

So be it.