4章2自我と間違った自律 その2

The Ego and False Autonomy  

私たちは霊とともに知識を捨ててしまい、捨てたことさえを忘れ去っている。それは過去に起きたことであり、今も続いている。私たちの心は今も、自分が霊であることを忘れ、知識を忘れている。キリストは言う

心をそんなふうに働かせる必要はないということを忘れないように。

大切なのは、自我を自分がどのように扱うのかということではなく、
自分は何だと信じるかということ。
(もちろん、自我は真の自己ではない。)

自我、あるいは自己とは何か。

自我は終始、何かが欠けていると信じることに心を奪われており、
それが自我を生じさせたのである。

以下、自我についての抜粋。

自我にとって与えることと犠牲は結びついている。より良いものを手に入れられるとわかれば、無くてもすむものを与えられる。これが自我の法則。

自我はいつも他の自我との利害関係において自らを評価する。
自我は手に入れようとする。
自我は手に入れることで自らを確認する。
自我は比較する。
自我は身体をすみかとして、その身体を通して満足しようとする。
自我は他の自我に振り向いてもらいたい。
自我は一体感をもちたい。
自我は他者と気弱に合併しようとするか、
      気弱に攻撃するか、それしかできない。
自我とは、完全に独り立ちしていると心で信じていること。

しかしながら、自我は偉大な何か(霊)に拒絶されていると知覚しているのは確か。だから、自我のいう自尊心は妄想である。