4章自我と間違った自律 その1

The Ego and False Autonomy  その1

いったいどうして心が自我を作りだすことなどできたのか、と聞くのはもっともである。

それは過去にあっただけでなく、今この瞬間も作り出しているのでなければ歴史は存在しないはずであるとキリストは語っています。

自我または自己とはどいうものか。

それは不安定で、途方もなく変化しやすい。そして、自我同士が影響しあうことで変化する。物質がお互いに影響して変化するのと同じように、心の中でお互いに影響している。知覚の仕方を変えるだけで変化する。
つまり、自我は事実ではなくてただの想念にすぎないのである。

ディーパック・チョプラ氏が「場の量子論」を本の中でよく取り上げていますが、その話に通じるものがあると思います。

簡単に引用して説明しますと、すべての物質は原子からできていて、その原子はさらに素粒子からできています。その素粒子は、粒子といっても固体ではありません。原子の内部は物質は存在せず、巨大な空虚になっていて、そこにはエネルギーと情報が波のようにゆらいでいるのです。

そして、この素粒子は誰も見たことがありません。ニュートリノスーパーカミオカンデが話題になったころに、TV番組などで取り上げられたのをご覧になった方もあると思います。素粒子は観測できないのですが、加速器の中でその痕跡を調べて、その存在を認めるのです。

しかし、おもしろいことに「観測された瞬間しか、存在しない」のです。

ディーパック・チョプラ氏は言います。
すべての素粒子は波の性質をもっています。観察される瞬間まで、素粒子は波なのです。空間や時間のどこか一カ所に限定されてはいません。波として広がっているものには関心を払わなくてはならないのです。
関心をいだく(観察する)ことで、波であるものが物質(粒子)に変わります。
文字通り、素粒子はあなたやわたしが観察することで創りだされるのです。


自我も身体も、すべてこの世界は想念であるとキリストが話されていることと同じだと思いませんか? 私たちのすべてを心が作りだしているのです。


引用したのは下記の書籍からです。

富と宇宙と心の法則

富と宇宙と心の法則