4章1正しく教えることは学ぶこと その2

Right Teaching and Right Learning 1の2

すぐれた教師は、生徒が学んで自分を必要としなくなることを望む。
しかし、自我は、自我の世界がずっと続くための独自の法則を作りだしている。私たちは、自我に従うのか、教師であるキリストに従うのかを選択することができる。

あなたの真価は教えたり学んだりすることで確立されるのではない。
あなたの真価は神によって確立されている。

あなたが何を行い、何を考え、何を願望し何を作るか、そのようなことが必ずしもあなたの真価を確立するのではない。

私たちの価値はすでに決まっている。創造されたときから。
だから、自分を罰したり、卑下したり、疑ったりする自我のいいなりになっていてはいけない。
私たちは他の者になったり、何か特別な知恵や技を得ることを求められてはいない。ただ、本当の自分に戻ることを求められているだけなのだ。自我を沈黙させ、ゆっくりと目を開けよう。

自我は私たちの本質がどのようなものであるのか知らないし、自我はそれ自体を守るためなら、どんなふうにでも私たちを欺く、自我は霊の喜びというものに恐れを抱いている。それは、私たちが一度それを体験すれば自我を手放し、恐れを手放すから。
そんなもの(自我)は置き去りにするがいい。

私(キリスト)は心を癒すという目標を分かち合える熱心な教師たちを必要としている。

この世で苦しい試練などうける必要はない。
私(キリスト)はすでにこの世に勝ったのだから。
だからこそ元気をだして、しっかりしてほしい。

勝ったというのは、身体からも自我からも自由になったことを、復活をすることで実証してみせたということだと思います。私たちにも後に続きなさい、ACIMの教えをよく読めばその道を歩いて行けるよ、と諭してくださっています。

神は必然的であり、神があなたを避けられないのと同様、
あなたは神を避けることはできないのである。

So be it.